奥泉光『石の来歴』

 奥泉光の『石の来歴』(文春文庫、一九九七年)より。語り手の男が太平洋戦争中、レイテ島で上等兵から聞かされた話。
「君は普段路傍の石に気をとめることなどないだろう。庭石や石材ならばまた話は別だろうが、およそ石や岩などは詰らない、ただ意味もなく山河野原に散らばっているもので、邪魔にこそなれわざわざ手にとって眺めてみる価値などないと考えているのだろう。だがそれは違う。変哲のない石ころひとつにも地球という天体の歴史が克明に記されているのである。たとえば君は岩石がどうして出来るかを知っているか? 岩石はマグマから生じる。赤熱のマグマが冷え固まって岩になる。岩は地上の風化作用で細かく砕かれる。それが石である。石はやがて砂になる。砂は土になる。石や砂や土は今度は水に運ばれ、湖沼や海底に堆積し、凝って再び岩になる。と岩はまた砕かれ石になり砂になり土になり、あるいは地下深く押し込められ熱と圧力が加われば、多種多様な岩石に生まれ変わって、さらには再びマグマに溶けて元に還っていきもする。鉱物の形は一瞬も静止することなく変化している。〔…〕つまり君が散歩の徒然に何気なく手にとる一個の石は、およそ五十億年前、後に太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれたときからはじまったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那(せつな)の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。」(10〜11頁)
 男は戦後、アマチュアの鉱物研究家となるが、石によって人生を狂わされていく。彼の悲劇は石の変転のごとく円環をなす。

石の来歴 (文春文庫)

石の来歴 (文春文庫)

石の来歴 浪漫的な行軍の記録 (講談社文芸文庫)

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