原発事故と科学認識論――金森修「認識論とその外部:汚染と交歓」(『哲学』第64号、2013年4月、日本哲学会)を読む

 著者からご恵与いただいた論文抜刷、金森修「認識論とその外部:汚染と交歓」(『哲学』第64号、日本哲学会、2013年4月、pp.25-41)を読む。この論攷は日本哲学会第72回大会シンポジウム「知識・価値・社会――認識論を問い直す」(2013年5月11日開催)のために書かれた予稿のような性格のものである。重要な論文なので、まず内容をやや詳細に紹介する。

 本稿で問題となるのは、「科学」、「認識論〔科学についての哲学的検討〕」、「認識論の歴史」の関係である。そしてこの考察の背景には、科学と認識論(史)への再考を迫る出来事であった2011年3月11日の震災による福島第一原発の大事故がある。
 近代以降の認識論は、完全に自律的な領域であったというより、自らの外部にある科学を対象とし、また科学との間の類比関係・差異・距離感を見極めることで、自らの価値を模索してきた。いわば認識論は〈理念的な鏡〉として科学を随伴させてきた。少なくとも19世紀半ば頃までの科学は、自律的で、最低限の報酬しか稼がず、純粋な探究心に動かされて自然の知識を追及する凛然たる品性をもった知識人によって集積された客観的知識、という見方が或る程度までは可能なものであった。それゆえに、同時代の認識論から一定程度の信頼と期待を得た、〈明澄な鏡〉たりえたのだ。だが、福島第一原発の爆発事故後に〔全てではないが、少なからぬ〕科学者たちが示したのは、そのような古典的科学観とは異なる科学の姿であった。そこにみられたのは、イデオロギー(支配階級・利益集団が自己正当化のためにもつ虚偽意識)と一定程度合致する科学である(むろんそれはすでにマンハッタン計画やバイオテクノロジーの展開のなかで現われていた姿である。他方で、福島の原発事故以降にも高潔な活動を続けた科学者が数多くいたことは言うを俟たない)。科学がこのような姿をとるとき、それを純粋な知識論・認識論の枠だけでとらえることは不可能になってきている。このことに認識論は自覚的であったか。おそらく認識論は、イデオロギーとなかば融合した科学の姿に無自覚であり、19世紀的な〈明澄な鏡〉としての科学観を持ち続けてきた。
 この科学のイデオロギー化という状況に認識論が対応するために、著者はカンギレムの〈科学的イデオロギー〉という概念を参照する。この形容矛盾のような言葉は次のような意味をもつ。すなわち、新しい科学理論が自然を捉えるために一種の知的冒険をおかすとき、通常の科学の規範から逸脱する独特の説明体系をもつことがある。これが科学的イデオロギーである。科学的イデオロギーは科学になろうとするが、実際にはそれと関わる主題が、実質的な科学的手続きを経て確立されるとき、自らの役割を終える。具体的には古代原子論、スペンサー型の進化論などがそれに該当する。そして、科学的イデオロギーは、科学者よりも、むしろ哲学者によって担われる。むろん、科学的イデオロギーが今日の目からすれば誤謬であるからといって、それが「愚者」によってなされた空虚な努力ということにはならない。むしろ科学史は多くの誤謬のなかに真理が点在しているのが常態であり、また科学的イデオロギーの多くは科学に貢献しようとした人々の個人的善意の生み出したものだ。
 では、現代の科学がイデオロギーとなかば融合しているという状況と、カンギレムの言う科学的イデオロギーはどのように関係するのか。著者はさまざまな留保を設けつつも、両者は「境界付近で重なる領域をもつ」と判断する。
 以上のことを踏まえた上で、認識論と認識論史は、今後どのような姿をとるべきなのか。著者はこの問いに端的に答える前に、一種の否定神学的な迂路を経る。まず現代において、認識論の役割を〈科学の基礎付け〉であると見なす認識論学者はいないはずだということ。現代科学は高度に自律的な発展を遂げているために、その基礎付けという作業は、科学の内部で行なわれる任務となったためだ。他方、これと逆の方向をもつ、認識論が自らを〈自然化〉〔自然科学化〕するという流れに対しても、著者は否定的な見方を示す。それは、もはや〈明澄な鏡〉ではない科学―だd種その内部に充分な自己批判の回路を備えていない科学――を過剰に理想化し、自身を科学化するということで陥る〈認識論の自爆〉のようなものである。
 このように、来たるべき認識論を「基礎づけ主義」ではない、「自然主義」でもないと規定した上で、著者は認識論と認識論史のとるべき二つの道を示す。
 第一は、現代科学が19世紀的な古典的科学観から逸脱し、イデオロギーと融合しつつある姿を端的な堕落とみなし、本来あるべき科学の姿を汚染する因子を排除しようとする方向。この方向をとる場合、認識論史は科学的認識の規範(客観性・普遍性・公益性)とその保護を最重視して思想家の位置付け、評価を行なう。
 第二は、それと正反対の方向。すなわち、現代科学がイデオロギーと半ば重なりつつあるような様態を、古典的科学観からの逸脱としてとらえるのではなく、むしろそのようなことは実は過去にも頻繁に起こっていたかもしれない、科学の常態であるとみなすこと。この方向をとるとき、認識論史は、これまで辺縁化し、重視しないできた科学外の因子に眼差しを向けなければならない。したがって認識論史は政治史、宗教史、産業史、科学史、文化史などと密接し、なかば歴史学全般のなかに自らを拡散させる。さらにはこのような認識論史の外化に加えて、古代懐疑主義〔16世紀にセクストゥスがラテン訳されたことで再導入された形での〕が行なおうとしたような〈論理的展開の瓦解〉を図る手法を用いて、論理的・領域内在的にも、認識論史の作業をより鋭利なものとする可能性が見出される。
 この二つの方向性のどちらが良いという総合的判断は難しいとしつつも、著者は個人的には後者、つまり認識論史の複線化、複層化、脱-純化の方向に惹かれるとし、それは哲学史一般にとっても新たなアプローチの誘惑となるであろうと主張する。
 そして、このような認識論と認識論史にほぼ共通の新たな方法論を示したうえで、認識論(つまり過去の認識論の歴史的評価ではなく、現在の、そして今後の科学についての認識論)の営みには、従来以上に〈科学批判〉の役割に自覚的であること、科学批判の諸動向と緊密にリンクすることを求めている。それは深甚な原発事故が起こった上に、政府が「旧ソ連よりも酷い棄民ぶりを露呈した」日本で、「近未来に放射線障害で苦しむはずの多くの同胞や、極めて長期間汚染されたままになるわれわれの国土のことを思う」ならば、現代の認識論学者にとっての必須の責務であり、当然の倫理である。

 以上のように、この論攷は、福島の原発事故以降に顕著な形で現われた(もともとは20世紀の半ば頃からすでにそのような形をとりはじめており、それ以前からも潜在的にはそうであったかもしれない)イデオロギーと密接した科学に対して認識論や認識論史がどのような態度を取るべきなのかという見通しを示す、重要な問題提起である。認識論という「浮世離れした」学問領域が現実の科学や社会の在り方に深くコミットし、自らを変形しようとする努力を示した、真摯な倫理に貫かれた論文という印象を受けた。福島第一原発の事故を受けて書かれた学問的著作のなかでも、冷静な論述と熱い批判精神を併せ持つ、きわめて良質なものの一つといってよい。内容上やや気になった点が二つある。一つは、今日、科学の基礎付けを認識論の仕事だと考えている研究者はいないという記述。私もそのような学者がいないことを切に願うが、実際にはいないわけではない。もう一つは、最後の節で古代懐疑主義に言及されていること。著者は、ようするに古代懐疑主義インパクトを受けてなされたピエール・ベールの一連の仕事のようなことを念頭に置いているのだと思われ、それは実際、今日においても豊饒な成果が期待される研究プログラムであると私も思うが、ここでの古代懐疑主義への言及の仕方はやや唐突かつ説明不足で、それがもつ意義や破壊力やインパクトが充分に伝わってこないという印象を受けた。また、この論攷の文章は著者の他の著作と同様に、美しく、理解しやすいものだが(認識論についての深い専門知識がなくとも充分に理解でき、また随所に挟まれた具体的な挿話も読む者を惹きつける)、個人的には表記面で、漢字の比率が少し多いのが気になった(「〜する積もり」「〜した事」「〜に於いて」などは、著者の他の著作では平仮名に開いていることが多いように思う。私ならば間違いなく仮名書きする)*1。むろん、これらの点はこの論文全体の価値を大きく損なうようなものでないことを明記しておきたい。

*1:私はこの雑誌(日本哲学会の『哲学』)をこれまで読んだことがなく、この雑誌に掲載された文章の抜刷を頂くのも初めてである。だから、このような漢字表記の方針がこの雑誌の編集上の決まりならば、この件は著者の金森氏とは無関係である。もしそうならば、あらかじめお詫びしたい。