ショースキー『世紀末ウィーン』
数日後にホーフマンスタールにかんする発表を聴く予定なので、予習。ホーフマンスタールの翻訳を何か読もうと思ったが、新刊ではまったく手に入らない。古本でもさほど入手性がよくないので断念。とりあえず、もはや古典であろうショースキーの名著『世紀末ウィーン』(原書初版1961年、邦訳1983年)を読む。
- 作者: カール・E.ショースキー,安井琢磨
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/09/09
- メディア: 単行本
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ホーフマンスタールは〔世紀末ウィーンにおける〕芸術への増大する傾向を政治的挫折に基づく不安に原因があると考えた。「一つの世界が崩壊する直前に、われわれはこれに別れを告げなければならない。多くの人はすでにそのことを知っており、ある名づけがたい(unnennbares)感情が多くの人を詩人たらしめている」と彼は一九〇五年に書いている。(p.25)
…ホーフマンスタールは、シュニッツラー流のペシミズムを撃退しつつ、不合理なものに形をあたえてこれを政治へ導いていくことができるような統治者権の概念を見出そうと努めた。その手がかりを彼は芸術の伝道で見つけた。この手がかりから彼は、詩人が近代生活の混迷に対してもつ関係という問題ですでに見出していた解決を、政治的混迷の領域へももちこんだのである――ダイナミックな形式という解決を。(p.40)
彼〔ホーフマンスタール〕は感情の不合理な力を抑圧せず、むしろそれに捌け口を与えるような一つの形式を求めた。全体の儀式(セレモニー)への参加という彼の政治にはいささかアナクロニズムの気味があって、これが彼を悲劇に導いた。(pp.41-42)
まあ、ショースキーの読みによれば、ホーフマンスタールがヒトラーの台頭してくる時代まで生きていなくてほんとうによかったということになる。
それはそうと、ショースキーが引用しているホーフマンスタールの詩はなかなかに美しいので、ここに書き写しておくことにしよう。
〔市街(まち)は〕月と潮とがその眠りの上に投げた輝く衣(ころも)のなかで身をすりよせてささやいている (p.35)