K-Ballet『ドン・キホーテ』

 熊川哲也演出の『ドン・キホーテ』を観る。会場は新国立劇場、午後6時会場、6時半開演。当初熊川が主演する予定だったが、怪我のため降板。熊川が降板したので観にいくことにした*1
 配役は以下のとおり:
 キトリ 吉田都
 バジル スチュアート・キャシディ
 ドン・キホーテ ルーク・ヘイドン
 ガマーシュ サー・アンソニー・ダウエル
 サンチョ・パンサ ピエトロ・ペリッチア
 メルセデス 浅川紫織
 エスパーダ ビャンバア・バットボルト
 ロレンツォ デイヴィット・スケルト
 花売り娘 永田佳世・東野泰子
 ドルネシア 天野裕子

 キトリ役の吉田都さん、掛け値なしにすばらしい。とくに第1幕の有名な扇の舞はあまりに優美で、庶民の娘には見えないが(笑)、とにかくこの軽快な踊りは、オペラよりも芝居よりもバレエこそこの物語を語る最良の形式だという確信を強めるような、じつに魅力的なものだ*2。女性群舞が演じる村の娘たちも、衣裳がやけに洗練されていて、やはり庶民の娘には見えないのだが、ほんとうに見事だ。
 明るく楽しいバレエだといって、多くの観客が楽しげに鑑賞しているなか、恋の仲立ちをし自分は再び旅に出て行くドン・キホーテの姿に涙しているのは私だけだろうか(『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノとか、この手の人物類型に私は弱い)。ルーク・ヘイドンが演じるドン・キホーテの、あの無垢な心を表出するミーム(マイム)の繊細さには感銘をうけた。審美眼に乏しい愚かな観客たちが吉田都やスチュアート・キャシディのヴァリアシオンの妙技に拍手し、ときにブラヴォーの喝采を送っているが、バレエはスポーツではなく藝術である。超絶技巧ではなく美を観るものだ。技巧は美に仕える限りで価値をもつにすぎない。男性舞踊手の離れ業に喝采している女性ファンが多いが、19世紀のロマン主義バレエにおいて(あるいはクラシック・バレエにおいても)称えられたのはあくまでも女性舞踊手の美であったことを思い起こすべきだ。当時は男役を女性舞踊手が踊ることさえあったのだ。したがって、スチュアート・キャシディのバジルには賛辞を惜しまないが、正直に申せば、どうでもよろしい。17日の公演はラスタ・トーマスがこの役を演じたようで、ずいぶん人気が高かったようだが、これもどうでもよろしい。私はあくまでバレエは女性美のものだと考えるので、吉田都の優美さを賛美する。多くの観客がBravo!と男性形で賛辞をおくっていたが(日本の習慣では男女にかかわりなく男性形Bravoを使う)、あえてBrava!と女性形で叫んで吉田都のキトリを称えていたのは私である。
 そしてドン・キホーテ。彼に注目しないわけにはいかない。このバレエの主役はキトリ&バジルであり、ドン・キホーテ狂言回しにすぎないという声もあって、まあ実際台本の上ではその通りだと思うが、しかしやはり私はこの無垢で愚かなニセ騎士の蛮勇と哀愁を、原作に即して賞賛したい。すでに述べたとおり吉田都の優雅なキトリを賛美することには人後の落ちないつもりだが、ほとんど幼児的ともいえる無垢で愚かな正義感(これはアンファンティリスムという文学的原型である)を湛えてドン・キホーテを演じたルーク・ヘイドンや、村人たちにからかわれるサンチョ・パンサをこれも絶妙なミームによって見事に演じたピエトロ・ペリッチアにこそ、このバレエへの礼賛は捧げられるべきである。
 演出の上で気になったのは、第二幕のドン・キホーテの夢の場面で、通常はキトリと同じダンサーがドン・キホーテの理想の女性ドルシネアを演じるのだが、この熊川版では、キトリとは別のダンサー(どうやら舞踊手ではなく宝塚出身の女優らしい)がドルシネアを演じていたこと。これは熊川の解釈だと思うので、別段良し悪しを言うつもりはないが、一応、明記しておきたいと思った次第。
 とにかく、久々に「感動した」という凡庸な形容を臆面もなく表明したくなるような、至福の舞台であった。舞台監督・熊川、なかなかあなどれない。

*1:この発言が熊ファンの目にとまったら、このブログは「炎上」するかもしれない。もっとも、私はべつに熊川が嫌いなわけではなく、ただ熊川の超絶技巧をことさら評価する(主に女性の)バレエファンを憎悪し軽蔑しているだけ。ダンサーとしての熊川が神がかった才能を持つことは否定しないし、演出家としての熊川も決して悪くないと思う。もっとも、熊川の才能が最大限に発揮されるのは、おそらくは興行主としてであるが。

*2:ところで今日はかなり気温も高かったので、会場をうめた観客(大部分が女性)のなかには扇を持つ人も少なくなかった。幕間のロビーで扇を持った(おそらく自身もバレエ経験者であろう)女性たちがキトリに見えて仕方がなかった。あるいはキトリを意識しての小道具か? そういえば喫煙所で休憩したとき、隣に座った女性が立ち去るとき扇子を忘れていったので急いで届けたのだが、こんなとき「おお、キトリよ!」と言って気の利いた口説き文句がとっさに出ずに「失礼ながら、忘れ物では?」などと何の色気もない言葉をかけてしまう私は、やはり駄目ですな。