3月20日

 今日で地下鉄サリン事件から12年がたつ。
 いまこの日記は、正確には21日に書いているのだが、21日未明の報道によると、オウムの荒木広報部長が地下鉄霞ヶ関駅に献花に訪れた模様。

「分裂しても賠償責任持つ」=オウム荒木広報部長が献花−霞ケ関駅
3月21日3時0分配信 時事通信
 1995年3月の地下鉄サリン事件から12年となった20日午後、オウム真理教アーレフに改称)の荒木浩広報部長(38)が東京都千代田区霞ケ関駅の献花場を訪れ、「被害者への賠償責任をしっかり果たしていきたい」と述べた。
 荒木広報部長は午後2時すぎ、スーツに青のジャンパー姿で現れて記帳。祭壇に向かって深く一礼した。
 荒木広報部長は、遺族が「賠償が不十分」と指摘していることに関して「本当に申し訳ないと思っている。少しでも取り戻せるよう努力したいと思っている」と話した。
 教団分裂については「教団が分かれようが遺族には関係ない。(賠償については)責任を持って対応していきたい」と言明した。 
最終更新:3月21日3時0分

 ところで現在、東大をはじめいくつかの大学ではセックス・カルト「摂理」の活動がいぜんとして続いているらしい。大学の新入生を現在18歳とすると、オウム事件の当時6歳前後である。これはほとんどオウムを知らない子供たちといってよいだろう。かれらはカルトについてのリテラシーをどの程度備えているのだろう。われわれはオウム事件を無意識下に抑圧するかのごとく、忘却の彼方に押しやるばかりで、年に一度、命日のようにこの3月20日の前後に(実際何人かの人々にとって、この日は文字通りの命日である)追悼という言葉を口にするのみであり、その一方で、1995年から1,2年のあいだテレヴィから姿を消したオカルト番組が最近では復活し大いに賑わっている。それらは麻原尊師の説法ヴィデオとどれほど違うというのか。また、オウムの真理科学研究所(のちの科学技術省)ばりの似非科学、ないしはそれにきわどく接する言説が堂々と流通していることも気になる。「ゲーム脳」だとか「脳を鍛えるドリル」といった類の「脳科学」の言説は、オウムが頭に電極をつけて麻原尊師の脳波と同調させると称した〈PSI〉とどれほど違うのか。そして〈あるある大辞典〉騒動に代表されるような一見「科学的」にみえる栄養・健康系の言説をむやみにありがたがる態度は、オウム信者が教団から「健康食品」(サットヴァ・レモンなど。あるいは尊師のDNA)を高値で買っていたこととどう違うのか。オウム的なものが社会に遍在するなかで、オウム事件はかつてのように冗談のネタにすらされなくなっている。首相安倍晋三は20日夜、地下鉄サリン事件発生から12年を迎えたことについて「無差別殺人を行った許せないテロ事件だった。こうしたテロは根絶しなければならない」と語っている(産経新聞WEB版、20日21:47配信)。しかし、恐れるべきは物理的なテロ行為などではない。オウムの再興や新たなカルトの暗躍を許す心性の瀰漫こそが脅威なのだ。それは非合理主義の安易な受容(ex. オカルトや占い番組)、あるいは逆に、その過剰な抑圧(ex. オウム事件の忘却)ないしは合理主義へのリゴリスティックな傾斜(これは「信仰」と呼んでもよい。ex. 「科学知」の盲信)として現れている。いずれも同一の現象のさまざまな見かけにすぎない。