大学卒業に認定試験?

clair-de-lune2007-03-21

大学卒業に認定試験、教育再生会議分科会が検討で一致
 政府の教育再生会議の第3分科会(教育再生)は20日の会合で、大学の学部教育の質を担保するため、卒業時の認定試験の導入を検討することで一致した。

 分野別に試験を実施し、試験結果を基に大学が卒業を認定する仕組みを想定している。5月の第2次報告に盛り込みたい考えだ。

 会合では、出席委員から「極端に言えば九九が出来なくても大学に入れる」などと、大学生の学力低下を懸念する声が相次ぎ、4年間の学部卒業時に何らかの認定試験を設ける必要性で大筋合意したという。

 また、学部教育での〈1〉到達目標の設定〈2〉成績評価の厳格化〈3〉語学や文章作成力など各学部共通の基礎教育の充実――なども検討する。学部教育を充実させ、より高度で専門的な人材を育成する大学院教育につなげるのが狙いだ。

 分科会の中嶋嶺雄副主査は記者会見で、「授業に出席すれば、学力が身につかなくても安易に単位が認定される現実がある」と指摘した。

(2007年3月21日2時14分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070321i301.htm?from=main3

 大学で卒業試験とは何とも出来の悪いジョークだ。大学は「学校」ではない。大学は学問の場である。学問とは本を読み論文を書くことだ。それに尽きる。大学の学部課程は卒論を(そして大学院は学位論文を)書くというただ一つの目的のためにある。現状でさえ卒業論文を必須とせず筆記試験で卒業させてしまう、大学の名を返上すべき学部学科が方々にあるというのに。論文の必須化と論文評価の厳密化をこそ求めたい。知的なテクストが読めない・書けない人間は容赦なく放校にすればよい。そして、この提案にいっそう喜劇の様相を与えているのは大学の研究者=教員の側にも、すでに本を読んだり論文を書いたりしなくなってしまった人間、研究室が溢れる書物の収蔵場所ではなく傘置き場と化している人間が少なからずいることだ。そんなニート教師に成績評価などできるのかね?

 ところで上記記事中にある中嶋嶺雄という人物、知らなかったので調べてみると、元外語大の教授で、今は「国際教養大学」なるところの学長。この大学がまた泣かせるのだ。全国初の公立大学法人ということらしいが、「教員の任期制・年俸制」、「学生全員に1年間の海外留学を義務づけ」*1、「すべての授業を英語で行」うといった特色を公式サイトで誇らしげに謳っている…。イタい。あまりにイタい。これで卒業生はみんな Robert K. Merton のメタフィクション(絶対翻訳不可能)を原書で読みこなしてそれについて英語で討論できたり、コウルリジの詩を原文で昧読できたり、あるいはコレージュ・ド・フランスの講義を聴いて理解できたりするのか? 英語とか国際的とか教養とか留学というのは、常識的にはそういうことを意味すると思うのだが。こんな壮大な構想を持った大学の学長が「教育再生」分科会の要職についているとは頼もしいかぎりだ。

 ※画像はアルチンボルド《司書》(1566年頃)

*1:どうもこういう大学が他にもあるようだ。女優・香椎由宇が、在学している大学(目白大学らしい)の義務付けている海外研修のため休業するというニュースを知って、私はいま猛烈に落ち込んでいる。「女優の香椎由宇(20)が3月いっぱいで芸能界を休業することがわかった。今日発売の「週刊女性」が報じている。昨日、最終回を迎えた月9ドラマ「東京タワー」ではヒロインを演じ、仕事も順調だった彼女が突然の休業。その理由と背景とは…。実は彼女、某私立大の外国語学英米語学科に通う現役大学生。そこでは、半年間の海外語学研修が必須になっていて、カナダもしくはオーストラリアの提携校に行くことになる。所属事務所も、『カナダのほうへ、大学の授業の関係で留学するんです。海外での撮影とかはありますが、日本では休止ということになりますね』と学業優先による活動休止であることを認めた」(http://entameblog.seesaa.net/article/36429728.html)。まあ、実際の事情がほんとうに留学を理由とするものかどうかはわからないが、このように報じられている。ファンとしては、やはり残念だ。