四方田犬彦「先生とわたし」

新潮 2007年 03月号 [雑誌]

新潮 2007年 03月号 [雑誌]

 『新潮』3月号掲載の四方田犬彦「先生とわたし」を読む。これは異能の英文学者・由良君美をめぐる、直弟子の手になる長篇の評論である。
 学生時代は哲学・英文学と遍歴し、専門であった英国浪漫派文学の領域を大きく越えて、ジョージ・スタイナーなど英米の批評理論、観念史学派、エドワード・サイードなどにいち早く注目し、日本近世・近代の異端文学、あるいは映画や漫画など現代のサブカルチュアにいたるまで旺盛にゼミで論じ、また批評の筆をふるった、まさに脱領域の知性。その門下には四方田氏のほかに、高山宏富山太佳夫脇明子などの才を輩出している。
 この碩学と学生時代に出会い、万巻の書物を読みはてたファウストのごとき姿に圧倒された弟子は、やがて師の暴力をもって破門され、のち、その死に接する。教師と教え子がともにすごした時間を語り、師の生い立ちと晩年を伝えるこの400枚におよぶ評論は、なによりも師弟関係というものをめぐる試論であり、批評・研究・翻訳という文学との関わり方を検討するメタ批評であり、そして、由良君美の評伝でもあり、君美の父でカッシーラーのもとで学位を得たやはり一種の異才というべき哲学者・由良哲次の消息を伝える思想史的テクストでもあり、さらに、学問論・教育論・大学論でもあり、四方田氏の自伝でもある。そして、なかば神話化された存在としてのみ由良君美を知る私に、この巨大な知性の素顔が持つ弱さと脆さを描き出す、衝撃的な文章だ。かなり話題になっているのもうなずける(私も師匠KO先生と畏友TA氏から、この評論の存在を告げるメールをいただいた)、近来の四方田氏のものした著作のなかで出色の出来映えである。「脱領域の知性」(これは由良の訳したスタイナーの著作のタイトルである)という言葉に多少とも心惹かれるすべての人に必読である。
 由良の著書をいくつか紹介しておこう。

椿説泰西浪曼派文学談義 (1983年)

椿説泰西浪曼派文学談義 (1983年)

→主著。ただし久しく品切で古本でも入手難。復刊が望まれる。
読書狂言綺語抄(どくしょきょうげんきごしょう)

読書狂言綺語抄(どくしょきょうげんきごしょう)

→エッセイ集。私が唯一持っている由良本。これは今でも多分新本で手に入るはずだ。