京都でアラン・コルバンに会う(2日目)

 午前8:00、起床。日頃の私にとっては眠りにつく時間であるこの憂鬱な早朝に快適な目覚めが得られたのは、宿主ご一家の数々の心遣いと、高野川近くの静かな環境のおかげである。ホストより早く起きるのは旅人として最低限の礼儀であろう。しばらくしてKY氏も起きて見え、朝食をごちそうになる。今回の旅は畏友KY氏を訪ね(氏は昨年9月、その時点ではまったく面識のなかった私の学会発表に、遠路京都から聴きにきてくださった方である)、アラン・コルバン氏の講義を聴講することが目的であったので、市街や大学のフィールドワークをすることがあっても、名所旧跡の類をみてまわる予定はなかったのだが、KY氏と氏の御母堂が、大原・三千院に案内してくださるとのことなので、お言葉に甘えることに。御母堂は70歳を超えるが、大変にお元気で、大原には彼女の運転する車で連れていっていただく。午前10:00頃、出発。お宅を出るとほどなく、初老の男性と道ですれ違う。KY氏の御母堂が、あれは湯川秀樹さんの息子さんだとおっしゃる。どうやら湯川博士の御邸の近くに私は泊まっていた模様。高野川にそって車は走る。早朝の薄曇りのやわらかな光に、連なる山並の色の諧調が映える。すばらしい光景だ。道をはしっていると、ほとんど四方が山並に囲まれているのだ。盆地だといわれる京都の地形をはじめて実感する。10:30頃、三千院に到着。澄んだ空気が素晴らしい。この時期は花の盛りでも紅葉の季節でもないので、まったく混雑しておらず、ありがたい。拝観料を納め、順路にそってすすむが、最初の客殿の内部に、ほかならぬ国宝、この歴史的建築の内部に、無数のポスターが画鋲で貼付けられていることに度肝を抜かれる。何という無神経・無自覚・白痴ぶりだろう。憤慨しつつも先に進み、宸殿・往生極楽院と順にまわる。建築の見事さの前に駄言を弄する気はまったく薄れ、ほとんど無言のまま、ただただ味わうのみ。そして、なによりも庭園の美しさが何時間もここに留まりたいという思いを私に抱かせる。庭とは何だろうか。そこには人為によって秩序をつけられながらも、自らの秩序あるいは無秩序を横溢させる自然が生きている。それは文明と秩序と自然と躍動の奇跡的な混交体なのだ。冬の庭で、雪のないこの朝、葉を落とした草木たちは鋭利な輪郭を見せている。幾何学フラクタル図形というのがあって(部分と全体が同じ形を持つ図形)自然物では樹木の枝がその典型だとされることの意味がはじめて実感される。また、庭の地面には様々な苔が生えている。杉の木をそのまま小さくしたような形の「杉苔」、これも初めて目にする。苔むした大地の随所に子供の顔をした石が無数にある。「わらべ地蔵」と称するらしい。そして、方々を走る小さな清流。一瞬マンドリンに見えてしまう琵琶をかかえた弁財天像(西欧でいえばオルフェウスだ)を経て、紫陽花の園へ。梅雨の頃にはさぞ美しいことだろうが、私は葉も花も完全に落とした紫陽花の枝(というのか茎というのか)の形を初めて目にして、奇妙な喜びを得ている。観音院・金色不動堂を経て、円融房へ。円融房の近くに昨年開館したばかりという「円融蔵」という文化財収蔵施設と小さなミュージアムを兼ねた建物に入る。内部には往生極楽院の天井画が再現(実物は長年の祈祷の焚き上げで黒く煤けている)されており、サイケデリックな色彩に驚く(あくまでも再現なので、ほんとうに往時このような色調だったのかは厳密にはわからないが)。展示されている収蔵品のなかでは、鈴木松年の手になる襖絵、題名を見てこなかったのが残念だがメタモルフォーズの画題で、密教僧の祈りによって松の大木が龍へと変ずるというものが素晴らしかった。円融蔵を後にして、売店で絵はがきを購入。売店内で三千院のさまざまな祭事を紹介したヴェデオを上映していた。なかなか面白い。音楽のような調べを持つ密教特有の声明[しょうみょう]を唱え、紙でできた花形を撒きながら行われる法要「御懺法講[おせんぼうこう]」の様子は非常に魅力的で、できればいずれ、実際に宸殿で執り行われるとき、参列してみたい(御懺法講は後白河法王が宮中で始めたとされる。この法要の儀式を取り入れた独特なパフォーマンスを行う音楽家・桜井真樹子氏のライヴを見てかねてより私は興味をひかれていたが、実際の僧侶が行う様子をみたのは、映像ですら、これが初めてである)。ほかにもこのヴィデオには星供[ほしく](星の供養!)など密教ならではの興味深い儀式が数々紹介されていて(私がこういった方面に疎いだけなのだが)なかなか勉強になる。売店を後にして三千院を出る。御殿門の前でKY氏と写真をとっていただく。私はカメラを持参しなかったので、KY氏の御母堂のカメラで写していただく。この旅で唯一の写真である。
 午後から今日もコルバン関係の講演会を聴きに行くので忙しい。車で京都市街まで送っていただき、KY氏と私で京阪電車に乗り、宇治を目指す。京阪電車は面白い。関東の鉄道とはやはりずいぶんと違う点が気づく。いちばん感心したのは2人掛けの座席を4人掛けの対面座席に変更する方法。JR東日本だと、椅子を水平に180度回転させることで、この操作を行うが、京阪では背もたれを倒すだけでこの操作が出来る。言葉では説明しにくいが、とにかく合理的な仕組み。関心しなかったのは、車内にテレヴィがあり、座席のスピーカーから音が流れていること。一応スピーカーはON/OFFできるので自分の席はOFFにするわけだが、隣の席がONにしているとうるさくてかなわない。テレヴィがあるだけでも目障りだが、せめて山手線や京浜急行のように音なしの画面だけにしてほしい。ともかくも宇治に向かう。途中、KY氏と話がやけに盛り上がり(何の話をしていたのだろう…。不倫の話をしていた気がする。不倫の算段ではない。念のため)乗り換え駅をいくつも乗り過ごし、気がつけば京橋まで来てしまった。大急ぎで引き返すことに。昼食の時間はとれないことになったので、駅でパンを買う。それにしても昨日は立命館に財布を忘れてタクシーで引き返し、今日は電車を何駅も引き返す。永劫回帰な旅である。ともかくも10分遅れで会場に到着したのは午後2:10。
 講演会は「源氏物語の匂いと薫り」。会場は宇治市源氏物語ミュージアム。志賀県立大学助教授で平安都市社会史研究者の京樂真帆子氏(筆名かと思うような美しいお名前。お名前とご本人の雰囲気が見事に一致している素敵な方)の「平安京の都市文化とにおい」、そしてわれらがアラン・コルバン氏の「異なかおり Parfums Exotiques」の二本立て。この2本を90分で行おうとするのは無謀だと思う。京樂氏のお話は源氏物語の「匂い」のテーマ批評とでもいうべきもので、お香などのよい匂いと、街路に放置された汚物の悪臭など、平安朝の都市にただようさまざまな匂いを論じる。コルバン氏は西欧のにおい(に対する感性)の歴史の総論というべき啓蒙的なもので、さほど目新しい話はないのだが、この限られた時間と、講義6日目であきらかに疲労の色が濃い70歳を過ぎた老教授の体調を考えれば、これは仕方がない。講演終了後、コルバン氏にちょっとだけ挨拶を交わしたが、顔が青ざめていてかなり辛そうだった。どうかゆっくり休んでいただきたい。
 午後4:00、会場を後にして、ふたたび京阪電車に乗車。駅構内や車内で無数に見かける京阪電車PR広告の女性が美しい。けい子さん、という音大生らしい。で、おけいはん、なのだと。「けいはん乗る人、おけいはん」という脱力モノのコピーに苦笑。どこに行っても広告やチラシやフリーペーパーなどにばかりつい目が行ってしまう。今度は乗り過ごさないように注意して、荷物を置いてあるKY氏のお宅のある某駅に向かう。元気なKY氏もさすがに5日間コルバン氏にほぼ付きっきりで(すなわち講義のみならず、懇親会の席でも連日連夜)通訳をして、さらに押し掛けた私が多々ご迷惑をかけたため、お疲れの様子である。午後5:00頃、KY氏宅に到着。軽く食事をして帰りの支度。お疲れのKY氏が部屋で休憩している短い間、御母堂と少々お話をする。午後6:30頃、そろそろおいとますることに。御母堂が手みやげを持たせてくださる。恐縮することしきり。大感謝である。さらに、車で京都駅まで送ってくださるとのことなので(むろん遠慮すべきところなのだが、私も慣れない旅でかなり疲労していて)お言葉に甘えることに。KY氏、御母堂が一緒に京都駅まで乗せていてくださった。重ねて大感謝。私はこのような心をつくした歓待をいまだ受けたことがない(もっとも友人の家に泊まったこと自体、私には初めての経験なのだが)。KY様、御母堂、本当にありがとうございました。
 午後7:26、今度は自由席で新幹線に乗り込む。ワゴン販売で小さなボトル入りのワインを売っていたのでサンドイッチとともに購入。この旅で唯一のお酒である。コルバンセミナーのレジュメなどを読み返し、持参した書物をめくるうち、午後9:30、新横浜到着。11:00、帰宅。(つづく)