京都でアラン・コルバンに会う(1日目)

 フランスの歴史家アラン・コルバン氏の来日講義を聴くため、京都旅行。今日が1日目である。実は京都に旅をするのは、これが初めてなのだ。私には嫌いなものが三つあって、旅行・団体行動・学校がそれである。したがって修学旅行と称するものは私にとってこの三重苦が一極集中した最悪の凶事であり、一切の参加を拒んできた上に、なぜか私事でも縁がなく、したがって京都に行くのは(いい歳をして)今日が初めてということになってしまった。ほとんど非国民と言われても仕方ない。
 午前6:00、昨夜から不眠のまま自宅を出発。7:23、新横浜から新幹線に乗車。新幹線には指定席と自由席があることに、この瞬間、初めて気がつく。横浜駅の発券窓口では何ら指示されることなく指定席券を購入させられていた模様。ともかく指定席にて京都に向かう。車中、新横浜にて購いたる弁当を食し、読書。仮眠。
 午前9:33、京都駅到着。事前に今回一宿を提供してくださることになっている畏友にして斯道の先達KY氏から「京都は寒い」と言われていたのだが、さほどの寒さを感じない。今年は京都も暖冬の模様。下車した後、ただちに駅から市営バス快速205系に乗車し、R大学を目指す。このバスの終着が同大学である。今回の旅は、いわゆる名所観光の時間はないので、せめてもの京都体験にと、市街の街並を(ほんとうは徒歩に如[し]くはないが)車窓から観察する。しばしば言われるように、高層建築が少ないことはただちに気がつく。さらに、家と家との間が極端に狭く、ほとんど家どうしが密着していることが、関東の建築と大きな違いとして見出される。そして、戦前からあるものと思われる立派な日本式家屋が多数見られることは言うまでもないが、注目すべきは、これも恐らく戦前から存するであろう洋風建築である。これが(適切なたとえがほかにないのでやむを得ずこのように言うのだが)北朝鮮の建築を思わせる直線的かつ無機質なデザインが多く、信用金庫の建物などは、まさにその典型である。のちにKY氏にこの印象を話すと「ああ、コミュニスト・スタイルね」と言われる。ともかく35分ほどバスにて移動し、R大学に到着。時刻は午前10:20。構内に入り、会場の場所を受付で訊ねる。正門受付係の女性が美しい。ほどなく会場に到着し、10:40からコルバン氏をコメンテーターとして招き大学院生が発表者となるワークショップ形式の授業となる。院生諸氏の発表は、正直に言えば、形式的にはカルスタ+ポストコロニアル+メディア論+ジェンダー論という印象が強く、なにもこの10年ばかりの人文研究の流行をそこまで律儀に押さえなくても、もっと自由に仕事をしたらよいではないか、と歯がゆい気持ちにならないではないが、テーマは非常に面白いし(非公開の授業なので、ここに発表者名と内容の詳細を書くことは控える)、熱意と誠実が強く感じられる内容で、好感が持てる。コルバン氏の「感性の歴史学」の方法を少しでも身につけ、自らの仕事に生かしたいという情熱に溢れているのだ。そして、それを詳細にメモしながら聴き、熱心にコメントするコルバン氏の姿にも心打たれる。氏は、決して「仕事だから」とか「義理で」といった様子ではなく、心底愉快そうに、興奮気味にコメントをしている。私は必ずしも仏語をよく聞き取れないが、KY氏(私を今回京都に招いてくれた彼女はこの来日講義の通訳をつとめている)の訳す日本語からも、それは充分に伝わってくる。学者の理想的な姿を見た思いがする。12:30、授業終了。コルバン氏にご挨拶。この偉大な歴史家(知名度の問題ではない。あの文人歴史家ミシュレの流れを汲む、上質の小説と言ってよい見事な歴史著作を多数ものしている彼の仕事が偉大なのだ)と言葉を交わすことができるとは何という喜びだろう。さらに、私が持参した彼の著書に、私の名前入りで丁寧なサインをしてくださった。信じ難いような光栄である。
 昼休み、R大学の学生食堂にて昼食。ビュッフェ形式の学食が楽しい。しかもおかず4品を適当に盛り付け、大中小あるうちの中サイズのご飯をいただいて382円という安さ。味も学食としては充分に美味しい。R大学、すばらしい。食事をとった後、大学構内を散策していると、やはり構内を散策しているコルバン氏をみかける。お疲れの様子もあり(70歳をこえる彼の連続講義は今日で5日目である)、私の仏語もまったくおぼつかないので、あえて声をかけず、会釈のみして立ち去る。
 午後、会場を移動して、コルバン氏とR大学N教授との対談形式のシンポジウム。ボナパルティズム、モダニティ(あるいはモデルニテ)について、熱心な議論が交わされる。午後5:00頃、シンポジウム終了。コルバン氏を招いたR大学大学院某研究科のスタッフであるM教授とご挨拶(同教授とは科学史学会生物学史分科会の関係でメールのやりとりをしたことがあるが、直接おめにかかるのは初めて)。その後、まだ業務のあるKY氏と後で落ち合うことにして、大学生協の書店へ。さすが、関西の雄といわれる大学の一つだけあって、なかなか充実している。
 ほどなくしてKY氏があらわれる。今夜は氏のお宅に止めていただく予定なので、一緒に大学を出、バスに乗る。氏のお宅のバス停にて下車したとき、重大なことに気がつく。財布がない。さきほどR大学の手洗いに置き忘れたらしい。すぐに大学に電話。すでに忘れ物として届けられ、保管されていた。電話できく限り、中身もすべて無事な模様。一安心。きちんと届けてくださったR大学の学生さん、大感謝! すぐにタクシーで引き返し(KYさん、ご迷惑をかけました)、無事財布をうけとる。このとき午後6:30頃。昼食をとっていないというKY氏とともに大学から徒歩10分ほどのところにあるカフェ・レストランのごとき店にて食事。歓談。途中、店員さんが3時間以上滞在のお客様には追加オーダーをいただいております、と言ってきたので言われるがままに追加、さらに小一時間話したので、どうやら都合4時間以上、話をしていたらしい。しかも翌日の日程があるので、お酒は一滴も飲まずに。この時刻に、これだけ長時間、酒なしで話をしたのも、希有な経験である。午後10:00頃、店を後にして、KY氏のお宅へ。すでに11時近い。ご母堂にご挨拶し、お茶、お風呂をいただく。イタロ・カルヴィーノの京都紀行を収録した『砂のコレクション』(脇功訳、松籟社)を読みながら、深夜2時頃、就寝。あてがっていただいた部屋は、かつてKY氏の妹さんが使っていたとのこと。広く、暖房がよく効いている。日頃私が寝起きしている、書物だらけで、ろくに寝る場所もない(半分が本で埋まっているソファ・ベッドで寝ざるをえない)、しかも暖房がろくに効かない部屋より百倍快適であった。心のこもった歓待に心から感謝。(明日に続く)