バシュラール『水と夢』(続き)

さらに、引用を続ける。

「詩の機能をもつ全ての偉大なコンプレックスと同じく、オフィーリアのコンプレックスは宇宙的な段階にまで上昇することができる。そのとき、これは月と波の一致を象徴化するのだ。巨大な漂う影像(ルフレ)は、色あせて死ぬ世界のイマージュ全体を示すように思われる。こうしてジョアサン・ガスケの『ナルシス』は、靄と憂愁の一夜、水に映る影を透して、明けゆく空の星々を摘む。(中略)〈月がわたし〔水〕に話しかけた。彼女の優しい話し方を夢想するとわたしは蒼白くなった。――『あなたの花束を(蒼白な空で摘まれた花束を)下さい』と恋人のように彼女は言った。そしてオフィーリアのようにゆったりとした紫の服を着てすっかり血の気がなくなった彼女をわたしは見た。熱を病んで脆い花々の色をした彼女の眼が揺れていた。星の花束をわたしは差し出した。すると、あるこの世ならざる香りが彼女から湧き立った。雲がわたしたちの様子をうかがっていた。……〉。空と水の恋愛のこの情景に欠けるものは、覗き屋にいたるまでなにひとつないのだ」

夜が明けようとしている。星々は天を去る。そして彼女も西の空へと旅立つときがくる。

「〈…『あなたは、このわたしが誰なのか、わたしがあなたの生きがいなのをよくご承知です、それなのにわたしは行ってしまうのです』とささやいた。一瞬、水の上方に春の女神(プリマヴェーラ)と同じくらい清純で霊的な爪先を見た…。それは消え失せ、奇妙な静けさがわたしの血を流れた……。〉(中略〉あの巨大な夢想は、漂う月を裏切られた女性の亡骸とみなし、辱められた月のなかにシェークスピア的オフィーリアを見るのである。」

月と波の恋愛。バシュラール詩学のなかでは、万物が人間化される。そして彼ら彼女らは引かれ合い、愛しあい、互いを慰撫し、あるいは敵意をぶつけあい、ときに結婚する。たとえば、四大のなかの「土」をあつかった著作『大地と意志の夢想』においては、釜で焼かれるパンは、土(エンペドクレス的想像力のなかで小麦粉は土である)と水が出会い、愛の炎で自らを焦がして出来上がるものなのだ。