バシュラール『水と夢』

clair-de-lune2006-05-04


この読書録の第一回は、わたしの読書歴の原点といえる本にあてたい。

バシュラール(Gaston Bachelard, 1884-1962)はフランスの哲学者。科学史科学哲学の研究者にして詩論家という異色の思想家である。『水と夢』は彼の詩論の系列を代表する著作といってよいだろう。わたしたちの文学的想像力が、古代哲学のいわゆる四大元素(水・土・火・空気)に属性に沿って活動する様態を分析した著作群の二冊目にあたる。文学的想像力のなかで「水」はいかにふるまうか――。もちろん、ここでいう「水」とは、H2Oという化学式で与えられる無色透明な物質のことだけをさすわけではない。泉の水、川の水、涙、ミルク、血液・・・すべて詩的想像力のなかでは「水」である。

本文から印象的な箇所を抜粋してみよう。

バシュラールシェイクスピアハムレット』の一節、オフィーリア水死のくだりを引用したのちに述べている。
「水は若く美しい死、花ざかりの死の元素であり、人生と文学のドラマにおいて、水は傲慢さも復讐もない死と、マゾヒスティックな自殺の元素である。水は、自分の苦痛に泣くことしかしらず、目がすぐに『涙に溺れる』女性の深い有機的象徴なのだ」
水は彼女を死に導く。しかし、その死は優しく甘美な死だ。著者は次のような逸話を引く。
「『グランド・ブリエールの岸辺では、長く白い衣を着て髪を乱したひとりの女が溺れ死んだという』。すべて衣服も髪も川に沿って長く伸び、流れが髪の毛に艶をだして櫛を入れているように見える」
死にゆく女を優しく梳る水。

水のなかでの若い女の死。バシュラールはこれを「オフィーリアのコンプレックス」と呼び、さまざまな文学テクストにその実例を求める。(続く)

引用は以下の邦訳から。ただし原書参照の上、一部訳文を改めている。

水と夢?物質の想像力についての試論

水と夢?物質の想像力についての試論

原書は以下のジョゼ・コルティ版がよい(画像はこの版の書影)。
Bachelard, L'eau et les reves, 24e ed, Paris, Jose Corti, 1989.
http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/271430334X/qid=1146727808/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/402-6017730-3712938