マルコ・ポーロ『東方見聞録』

 必要あって、マルコ・ポーロ『東方見聞録』を読んでいる。たまたま東洋文庫版を読んでいるが、平凡社ライブラリー版のほうが、よりコンプリートな訳なのかもしれない。

東方見聞録 (1) (東洋文庫 (158))

東方見聞録 (1) (東洋文庫 (158))

東方見聞録 (2) (東洋文庫 (183))

東方見聞録 (2) (東洋文庫 (183))

東方見聞録1 (平凡社ライブラリー)

東方見聞録1 (平凡社ライブラリー)

東方見聞録2 (平凡社ライブラリー)

東方見聞録2 (平凡社ライブラリー)

 じつはキルヒャー支那の石を語る文脈で、『東方見聞録』の一節を引用しているのだ。その箇所は第1章47節で、以下のような記述である。

 十二日間のこの旅程が終わると、タイカン〔塔里干〕という町に着く。穀物の大集散地である。近傍は一帯にとてもみごとな土地である。町の南方に巨山があるが、全山これ塩から成っている。(以外の山々からはハダンキョウ・フスダシウの実の産出が多く、これまた盛んな取引がこの地でなされている)右の岩塩は品質がきわめて良いので、四辺の諸国や遠くは三十日行程のかなたからでも人々が争い来たって採取する。ところでこの岩塩といったらとても堅く、鉄製の大型鶴嘴を使ってやっと掘り集めることができるありさまである。またその埋蔵量のおびただしさといったらたいへんなもので、世界中の人々が消費しても、世界の終末日までは結構これで供給できるほどである。