→この分野の必読入門書。
→久々の重版。
バルザックの
ファウストもの。またすぐに品切になるだろうから、仏文学や科学文化論に関心のある方はとりあえず買っておいたほうがいい。
→「ヨ
ミウリ・ウィークリー」に連載中のエッセイとも掌編小説ともつかない奇妙なテクスト。通俗時代劇の語り口から影響を受けたと思われる、即得の饒舌体が絶品。第二巻も出ており、雑誌では現在も連載中。
→2006年12月号。特有、監督系女子ファイル。
タナダユキ、
蜷川実花ほか、女性
映画作家関係の記事。必読。
→ロイ・ポーターのオックスフォオードUPから出ていた小著。ようやく邦訳なった。同じ著者の『狂気の社会史』ともども必読である。
フーコーだけ読んでも、ロイ・ポーターを読まなくては片手落ちだ。
→小学校に警備員を配置したり、子供に
GPSの発信器を持たせている人たちにぜひ一読ねがいたい本だが、彼らはこういう本をまず読まないんだろうな。少年犯罪の増加とか、環境犯罪学(いわゆる「
割れ窓理論」)などがいかに根拠のない神話であるか、そして、無根拠な神話であるがゆえに、それは同時代の不安=欲望をほとんど無限に吸収して肥大し、われわれ相互の不安を拡大させる「相互不信社会」の駆動装置として機能しているか、統計データと日本近代思想史文化史の両面から実証される。立派な本だが、語られている内容は、少なくとも私にとっては、詳細な統計的・歴史的実証性を伴いながらも、大部分が既視感とともに読まれることにならざるをえない。しかし新書判の本(=啓蒙書)としてはこれでよいと思う。われわれ
フーコー以降の人文社会科学の領域でスレてしまった人間は、いまさら少年犯罪の増加だとか治安の悪化などという話を訊いても、すぐに
フーコー的な図式を覆い浮かべ「
体感治安が悪化しているだけでしょ」とか「監視する視線の内在化と規律訓練権力」などと、したり顔で語ることがなかば常態と化しており、治安悪化言説を真に受けている人間などどこにいるのかなどとつい思ってしまうのだが、世の中には、地域の子供が変質者の餌食になるかもしれないと本気で心配して(どう考えても交通事故で死ぬとか
鬱病になって自殺するといったリスクのほうが高いのだが)地域パ
トロールと称する怪しげな自警団を結成してしまう連中がほんとうにいるのだから。本書によれば、彼らにとって、実際に治安が悪化しているかどうかはどうでもよくて、自警団活動が
自己実現・自分さがし・生きがいさがしの手段になっているのである。そういう自分探し自警団の連中の無邪気な善意によって、この社会がますます息苦しいものになっていく。まったくうんざりする話だ。自分探しとか生きがい探しなんぞは一種のオナニスムなのだから、密室で自分一人だけでやってほしい。どこの世界に集団で公然と自慰行為に耽る奴がいるのだ? たしかになんでも規律訓練権力論と
構成主義の相もとにこの複雑の社会を理解した気になっていまう
フーコー亜流のナイーヴな認識を
謳歌しているわれわれにも一種の偏りがあるのは事実だが、しかし、
テレヴィが少年犯罪や猟奇犯罪を立て続けに報じるからといってそれをいちいち真に受ける愚かさはほとんど絶望的ではあるまいか。やはり
啓蒙主義は正しいのであり(「
啓蒙の弁証法」を経ようが経まいが
アウシュヴィッツは一種の必然であって、
アドルノ&ホルクハイマーは浅はかだった)
莫迦どもは暴力的に啓蒙して現実を思い知らせてやらねばならない、などと暴論を吐きたい欲望にふと駆られてしまうのは何も私だけではあるまい。