チェッコ・ボナノッテが描いたダンテ「神曲」展@イタリア文化会館

 イタリア文学者S先生にお誘いいただき、九段のイタリア文化会館で「チェッコ・ボナノッテが描いたダンテ「神曲」展」の特別鑑賞会&講演(帝京大学藤谷道夫氏)&レセプションに参加。
 ボナノッテのドローイングは地獄・煉獄・天上と進むにつれて、淡く軽いトーンになってゆく。軽くなること――。藤谷氏によれば、中世のコスモロジーでは罪は重力によってあらわされる。重力から解き放たれることは罪の重荷から解放されることなのだ。
 特別鑑賞会とレセプションの席では藤谷先生にいろいろとご教示・ご助言をいただいた。ありがとうございます>藤谷先生。
 終了後、S先生・美術史のU先生と中華料理店で食事。

チェッコ・ボナノッテ、あるいは「軽さ」について

チェッコ・ボナノッテの芸術は「軽さ」と「優美」のコードである。まるで光にかざして見た一葉の葉脈、冬の夜明けに窓ガラスに生じる氷の結晶(霜)、あるいは太陽をうっすらと覆うまばらな雲のようだ。ボナノッテが我々に提示する『神曲』の解釈には、どこか一定しない、それでいて軽やかな調べを奏でるが如きところがある。あたかも貝殻を耳にあて、海の息づかいを聴くような趣きである。この場合、貝殻とは『神曲』のことだ。ボナノッテは、『神曲』の深遠広大な世界から響いてくるざわめきに耳を澄ませて、それらを拾い集め、幻惑から覚めぬうちに見事な手並みで作品化した。そのざわめきは、かすかな畏怖とともに、我々をも幻惑し感嘆させずにはおかない。                             
アントニオ・パウルッチ                          
フィレンツェ博物館統括局局長

神曲』は、人間の歩んだ詩的道程を表現している。すなわち、人間の歴史のドラマ性を崇高なかたちで内に含み持ち、希望をあたえてくれる至高の光への期待を内包しているのである。ボナノッテは言う。「『神曲』のタブローはそのひとつひとつが、シンプルさと軽妙さをもって、一続きの場面を表現しています。そこでは希薄となり夢幻の様相を帯びた大気が、個々の小さな事物が形作るひとつの現実の断片を包み込んでいるのです。儚く軽やかな夢を通して、私は人間存在の大きなテーマに取り組みました。すなわち、愛、幸福、人間の限界、人生についてです」。レオパルディの詩においても、ボナノッテの作品と同様に、沈黙と静寂の次元に無限の感覚が相伴い、空間の境界線を侵すことと無限の感覚が係わっている(空間の境界線とは、この偉大な詩人にとっては生垣であり、この彫刻家にとってはアトリエの壁である)。もはや疑いない。チェッコ・ボナノッテにおける――彫刻作品であれ、絵画作品であれ――無限という様相のこれほどに鮮烈で、これほどに深遠な知覚は、ポルト・レカナーティにある彼の生家の窓から見えるあの海に触発されたものだ(ポルト・レカナーティは、ボナノッテの愛する詩人レオパルディの故郷レカナーティからほど近い)。それは広大で変幻自在な海である。光を捉えメタリックな輝きを反射するブロンズの浮彫のように自在に彩りを変える海であり、空間=光の渦を暗示する『神曲』の世界を描いたタブローのような海である。茫漠とした夢幻の如き海のヴィジョンは、イマジネーションの世界を漂泊するボナノッテとつねに共にある。                          
 マルツィア・ファイエッティ                  
 ウッフィツィ美術館、デザイン・印刷室室長
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=105