武智鉄二『白日夢(64)』@渋谷シアターイメージフォーラム

 ついに武智鉄二『白日夢(64)』を見る機会を得た。武智の手になる『白日夢』には都合3作品がある。1964年版・路加奈子主演・白黒の『白日夢』(通称『白日夢(64)』)、1981年版・愛染恭子主演・カラーの『白日夢』(通称『白日夢(81)』)、同じ愛染恭子主演で1987年に制作された続編『白日夢2』。今回見たのは第一作。澁澤龍彦の批評「デパートのなかの夢魔」(『スクリーンの夢魔』[河出文庫] 所収)を読んで、かねてより一度見たいとおもっていたのだが、なかなか機会に恵まれなかった。
 本作は谷崎潤一郎の原作になる。この1964年版制作時、谷崎は存命で、タイトルバックのあとに谷崎から武智にあてられたメッセージが写る。そして武智の、いかにも60年代らしい、この映画の肉体描写は人間の疎外状況を表すために…云々という宣言文が映し出される。背後には女性のうめき声。歯医者で治療をうける男女が、麻酔の陶酔のうちに見るサド・マゾヒスティックな幻想。タイトルどおり白日夢なのだが、この夢を見ているのは、女の患者なのか、男の患者なのか(あるいは歯科医の妄想なのか)最後まではっきりとはわからない。歯科の治療器具を口内に差し入れられ、口からは水を溢れさせる女。性器は一切映していないのに、モザイクをかけたくなるほど卑猥。性器が写ったか否かで猥褻性を云々することがいかに無意味かは今さら言うまでもないが、1964年当時、このように徹底的に性器を排除してこのうえなく扇情的な映像をつくるという方法は先鋭的であったはずだ。
 女は夢のなかで歯科医に数々の責め苦を受ける。服を破られ、縄で縛られ、体に電気を流される。さらに深夜のデパートで、スリップとハイヒールだけの姿で追い回される女。エスカレーターを逆行して逃げまどう彼女のスリップは切れ切れになり、危うい足取りのハイヒールも脱げてしまう。やがてエレベーターの動きに逆らえなくなり、歯科医に捕われる。このシーンが、電気責めよりも何よりも、もっとも痛々しく、危うげで、虚しく、すばらしい。武智のいう人間疎外の寓意を、もしこのシーンに(あるいは全篇の虐待シーンに)みとめるならば、疎外される者が「男に虐待される女」によって代表されていることが、この時代の武智の社会把握を反映しているようで興味深い。
 ところで、さきの澁澤氏の批評には次のような一節で結ばれる。「主演女優、路加奈子は顔の表情には乏しいが、そのオブジェのような裸体は、若々しさにあふれていて、わたしたちの眼を存分に楽しませてくれる。とくに見るべきものは、乳房、――というよりむしろ、乳首であろう。(…)読者よ、いかがです?」。敬愛する澁澤氏の評価だが、いかがです?と言われても、どうもこの点には同意できない(ちなみに私見によると、乳首が魅力的なのは、時代は前後するが、小沼勝監督『奴隷契約書』(1982年)など、数作のSM風作品に出演している女優・松川ナミである。http://www12.ocn.ne.jp/~nacky/yousei/yousei07.html)。