事故・不条理――誰のせいでもないこと

シュレッダーで子供が指に怪我する事故が相次いで発覚している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060912-00000123-jij-pol

子どもで新たに18件判明=シュレッダー事故、累計で36件−経産省発表
 経済産業省は12日、幼児によるシュレッダー事故が相次いだことを受け、1983年から2006年までの発生状況を業界団体を通じて調査し、発表した。12歳以下の子どもの事故は既に公表した2件のほか、18件が新たに判明。このうち7件は指を切断する大けがだった。過去に起きたシュレッダー事故の累計は大人の16件と合わせ、36件となった。経産省は再発防止のため、書類の投入口を狭めるなど電気用品安全法の技術基準の見直しを行う。(時事通信) - 9月12日23時1分更新

一部の愚かな親が子供のケガの原因を製造メーカーにあるとして騒いでいるが、彼らは子供がカッターナイフや包丁でケガをしたら、危険な製品を売ったとしてメーカーに賠償を求めたりするのだろうか。シュレッダーもナイフも、子供が近付いてはならない危険なものであることには変わらない。親の管理がなっていないことは自明である。
それに、道具を使っていてケガをするのは、ある意味では当たり前のことだ。世の中には不慮の事故というものがある。事故の全てについて、誰かに責任を求めることが出来るというのは間違っている。
犯罪・事件の被害にしても同じことだ。学校に何者かが侵入して子供が殺されるという事件が数年前に集中して起こったことがある。このとき、学校の管理責任を問う声が多くあがったが、まったくナンセンスである。気のふれた奴が学校に侵入するということを完全に防ぐことはできない。仮に校門を指紋認識のセンサーやら何人もの警備員で管理し、外部からの侵入を完全にコントロールしても、学校内部で生徒や教師や職員が突如狂乱に陥り、刃物をふりかざすかもしれない。実際、生徒が生徒や教師を、あるいは塾の教師が生徒を殺傷した事件が起こっている。このような犯行は防ぎようがない。誰にも責任はないのだ。
殺人事件が起きると犯人の動機を求めることも、あらゆるケースで有効な態度とはいえない。我々は不条理な出来事に理由を求めて納得したいという心理を持っている。これは仕方がない。だが、理由などない犯罪というものは確かにあるのだ。そんなことは60年以上前にカミユが『異邦人』で書いている。
誰にも責任や原因を帰することができない突然の死というものに、われわれは常にさらされている。この端的な事実を認めなくてはならない。
前近代的な想像力は、事故や事件による不条理な死にたいして「神隠し」とか「ついていなかった」といった(合理化とはことなる)了解の心的機制を持っていた。
われわれが、どんなことにも原因や責任があると考え、事故とか不条理というものを飼いならせるという幻想を捨てないなら、この社会には、ますます無意味なセキュリティの網の目がはり巡らされていくだろう。「理由」や「合理的な対策」の行き着く先が、もっとも不条理な世界となるのだ。


★追記
シュレッダー事故について、2ちゃんでこんな書き込みを発見
■■■シュレッダー【今や必需品】その3■■■
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/kaden/1150239051/

469 :目のつけ所が名無しさん :2006/08/27(日) 10:16:39
【シュレッダー】飼い猫の尻尾が切断【痛いニャン!】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1146973165/