佐藤真『阿賀に生きる』

 アテネ・フランセにて佐藤真監督『阿賀に生きる』(1992年)を観る。佐藤真の長編デビュー作として有名な作品だが、今回初めて観る機会を得た。傑作である。
 本作は新潟県阿賀野川流域(「阿賀」と呼ばれる)の集落に生きる人々を記録したドキュメンタリー。阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)の患者の姿なども印象深いが、この映画の中核にあるのは「人間と物質との根源的な関係」であると感じた。田畑で農作業する手が作物や水や土に触れ、舟大工は木材に自らの身体や金属製の工具を対自させ舟をつくる。餅屋は米と水を炎によって加熱し、木製の臼と杵でつき、手で伸ばして餅へと変える。漁師は金属の巨大な鉤を水のなかに投じ、魚を捕らえる。船頭は風を読み、水の上に浮かべた木の舟をあやつる。水・火・土・風。さまざまな自然物質と人間(の身体という物質)の格闘に強烈なリアリティがある。人為による物質の変形という労働の第一義的性質を見事に描いた映画といえよう。過疎の集落で暮らす老人たちは、70歳をすぎてもなお、農作業を始めとする体力を要する重労働に従事している。空調が施された都市のオフィスで身体的苦痛はほとんど無く働き、60歳そこそこでリタイアできる労働者より、はるかに過酷な労働であることは確かであろう。だが、都市の労働者と阿賀の人々、どちらが労働の根源的な幸福を享受しえているか。いささか愚直な問いではあるが、そんな疑問が頭をかすめる。物質に直に働きかけ、その恵みを得る労働の幸福さ。老人たちが仕事を終え、酒を飲みながら家族や友人たちと語らう姿は、見ていてうらやましくなる。
 また、関東出身の私には、字幕なしでは意味が半分ほどしか理解できない新潟弁で話す老人たちの会話は、日本/海外という距離と日本国内諸地域間の距離という自明な遠近を覆す、つまり、例えば東京/パリとか東京/アフガニスタンよりも、東京/阿賀のほうが遠く、「異文化」なのではないかとさえ思わせるような感覚を与える。国などという同一性の輪郭がいかに曖昧なものかという、おそらくは誰もが知っていながら日常的には忘却してしまう事実を、あからさまに思い知らせる映画でもある。アフガニスタンに自分探しと称する旅に出るより、新潟の農村に3年間住み込んで農作業しながらドキュメンタリー映画を撮るほうがよいのではないか(笑)。この映画に映し出される光景は1992年に先立つ、過去3年ほどの日本の或る地域なのである。この時期は、いわゆる「バブル景気」(1986年末〜1991年初頭)の時期に完全に重なる。同じ日本の別の地域、例えば銀座や六本木と比べるなら、同じ国の出来事であると信じるのが、ほとんど不可能なほどだ*1


 なお本作は山形ドキュメンタリー映画祭in東京2008のプログラムとして上映されている。その他の演目は以下のページに:
・公式サイト
 http://www.cinematrix.jp/dds2008/
・チラシ(pdfファイル)
 http://www.cinematrix.jp/dds2008/dds_flyer.pdf

 阿賀については、「阿賀野川メランコリー」(夢子倶楽部)という紀行文を発見。新潟水俣病の原因となった工場(昭和電工)周辺の最近(1999年)の様子も書きとめられている:
 http://www.yumeko-club.com/tabi_kokunai/aganogawa.htm

*1:例えば、本作の数ショットからコラージュされたビデオ版のジャケットと、同じ頃のテレビ映像(1986年のヒット曲、石井明美CHA-CHA-CHA)を掲載してみよう。