渡辺文樹作品上映会

clair-de-lune2007-07-04

 上映開始まで
 渡辺文樹監督の上映会に行く。
 アルバイトで家庭教師をしていた先の母娘に手をつけた顛末、天皇暗殺計画、日航機墜落事故陰謀説、等々、過激な題材の映画を自主制作し続ける渡辺文樹監督の上映会があると友人に教えてもらった。映画そのものはぜひとも観たいのだが、会場には無数の右翼と公安がやってくるなどという恐ろしい噂をきいていたので、どうしようかと当日まで迷っていたが、結局観に行くことに。友人とも会場で合流する。
 上映が行われたのは代々木八幡区民会館。そもそも代々木八幡ないしは代々木公園駅が、都内主要駅からのアクセスが悪い上に、駅から会場までも遠く場所が分かりにくい。やはり特殊な上映会なので、こういうところしか貸りられないのか。道に迷いかけつつ到着。
 受付をしている女性は監督の奥様とのこと(渡辺次子さんといい、監督の映画のプロデューサーを務め、ときどき役者として出演もしている)。あの渡辺監督のご夫人とは思えない、地味で感じのよい常識人風の女性なのが面白い*1。横には監督のお嬢さんだという幼い少女が、チケットを買った客に健気にお礼を言っている。会場に入ると、やや太目の、やたらエネルギッシュな男性が映写機の近くに陣取っている。映写技師にしては、全身から発している雰囲気というか殺気というか、とにかく気迫が尋常でない。上映が始まる直前、会場が暗転すると、この男性が作品解説を始める。やはり監督ご本人だったのだ。驚くことに、会場にいるスタッフは監督ご本人とご夫人だけ。ふつうこの種のインディペンデント的な活動には、無給でも手伝いたいという支援者がいて会場で雑務をこなしているものだが、ここではそういう人は見事にゼロ。やはり、映画の内容が内容だけに、無理もあるまい。

 腹腹時計』(1999)
 さて、1本目に観たのは『腹腹時計』。
 腹腹時計とは爆弾製造法が書かれた小冊子を示す隠語。かつて過激派が用いた言葉だ*2天皇の御召し列車をニトログリセリンで爆破しようとする男〈渡辺〉(渡辺監督自身が演じる)。そして、あの戦争に技術者として協力し戦後は公務員となった父親への反抗心から、渡辺とともに天皇暗殺計画を実行する若い女。二人を追う福島県警と韓国CIA(しかしすごい設定だな…)。彼らが福島を舞台に展開する活劇である。
 まず、アクション映画として、迫真の攻防戦なのかグダグダの逃走劇なのかよくわからないシーンの連続が異様に魅力的。太目の体形でどうみてもアクションに向いてないのに、体をはってがんばる渡辺の姿があまりにも愛しい。走る電車の前の線路を疾走する渡辺。もし躓いて転んだりしたら、確実に電車で轢かれるはずで、危険きわまりないのだが、もちろんスタントマンなど使うはずもない。バイクで逃走する女テロリスト。からの電車をジャックし御召し列車へと近づく渡辺を、バイクで追跡する韓国CIA。車窓をはさんで、ニトロの小瓶と拳銃で激しく攻撃しあう。
 こんなアクションが続くのだが、ところどころで死ぬほど笑える。一目で警察だと分かる挙動で張り込みをしたり、街中で大挙して機関銃を構えるまぬけな刑事たち(なぜかみな老人)。最高に傑作なシーンがある。渡辺の爆弾電車が御召し列車に接触する前にどうにか食い止めようとする警察は、なんと幼稚園の通学バスを乗っ取り(!)、運転手を車外に引きずり出し、しかし園児や保母は乗せたまま(!!)踏み切り内に停車し、線路をふさぐ(!!!)。いくら爆弾テロ犯でも、いとけない子供が多数乗ったバスに突っ込めないだろう、と。警察、爆弾テロリストより鬼畜!
 渡辺がグリセリン・硝酸・硫酸などを調合してニトログリセリンを合成するシーンもすごい。氷で冷やしながら…とか、硫酸は水に入れて薄める(逆に、硫酸に水を入れると危険)…とか、やけに具体的で詳細なのだ。できたニトログリセリンを少量取り出して爆発させてみるシーンまである。これはどうみても実際に・・・いや、なんでもない(以下略)。このあたりは妙にリアリズム。しかし、ニトロをポリタンクに入れてたぷたぷいわせながら運ぶとか、ちょっと路にこぼしても小爆発で済むとか、そんことありえないだろう(笑)。もう、とにかく無茶苦茶。だから面白い。
 毎度のことながらつくづく思う――映画にとって潤沢な制作費とか上等な機材というのはマイナスにしか働かないのではあるまいか。シルバー人材センターで集めてきた老人たちが刑事を演じていたり、どこから連れてきたのか分からない怪しいインド人が密輸船の船長役だったり、ほとんどメシギャラしか払ってないであろう素人役者たちの何と魅力的な演技。そして、録音機材が最悪で、上映会場の音響も最悪、しかもみな福島なまりでなので、セリフが聞き取れない箇所がものすごく多い。それを海外上映向けと思われる英語字幕を読むことで、かろうじて把握できる。こういう体験が妙に楽しい。上述の幼稚園バスのシーンで、バスを乗っ取った刑事を上司が無線で叱り付けているシーンも、何と言っているのかよくわからないが、「You idiot!」と字幕が出て爆笑。
 つっこみどころがありすぎる映画だが、ラストはきわめてシーリアスだ。天皇が暗殺されて終わるのでは、この映画は凡庸な批判力しか持ち合わせていなかったであろう。自らは刑事でありながら娘がテロリズムに走ることを止められなかった父親は、自分は娘の責任をとるが、あの戦争の責任は誰がとるのかと天皇を詰問し、拳銃で自らの頭を打ち抜く。この見事なラスト・シーンゆえに、本作は、すぐれた藝術がときとしてもちうるまさに爆薬のごとき圧倒的な批判力を備えた、掛け値なしの傑作たりえている。
 また、この映画は(他の渡辺作品の多くと同様に)ドキュメンタリーとも劇映画(フィクション)ともつかないつくりになっている。テロリストは「渡辺」を名乗り普段は映画を撮影しているなどと語る。過去の報道映像、写真などの挿入多数。女テロリストにインタヴューするようなシーンもある。そしてスクリーンの中の男は、スクリーンの手前で映写機を操作している。会場には福島県警ではないが、公安警察の捜査員が確実に潜伏している。もはやどこまでが映画で、どこからが現実なのか分からない。この映画は、というより、この映画の上映という出来事は、ドキュメンタリー/劇映画、映画の中/外といった境界を、まったく曖昧なものにしてしまう。大げさに言えば映画というものの存在論的身分をゆるがす映画なのだ。ほんとうにすごい作品だ。

 御巣鷹山』(2005)
 続いて『御巣鷹山』をみる*3。いうまでもなく1985年の日航機墜落事故に材を得た作品である。
 1985年・師走、山中の神社境内で剣道の奉納試合に参加した中曽根首相のもとに、渡辺という男(もちろん渡辺文樹監督が演じる)が面会にやってくる。渡辺が首相に語るところによると、墜落した日航機は米軍横田基地に不時着することもできたはずだが、機密物資(プルトニウム)の輸送にかかわっており、秘密の露見と米軍基地の放射能汚染を恐れた政府が、自衛隊に撃墜命令を出した、と。つまり墜落は事故などではなかったというのだ。そして、彼は続ける。いま、首相の息子が乗って飛行中の日航機に爆弾を仕掛けた、と。そして解除方法を知りたければ、或る要求を呑め、と。この場で渡辺を殺すべきか、息子の命を救うべきか、中曽根は迷う・・・。おおまかにはこのような筋立てで、つまりは日航機墜落事故陰謀説に立って、例のごとく自らと同じ名前の主人公を監督が自演するというわけだは、これはもうなんというか、『腹腹時計』を超える異常な作品である。渡辺は日本政府に抗う反体制の社会派監督という評価が一部にはあり、実際、右翼などは渡辺をこのような反体制・反国家思想の持ち主だと認識しているから上映会を妨害しにやってくるのだろうし、公安も渡辺のことを同様にみているのかもしれないが、この映画の水準になると、現体制とか国家にたいする批判力はほとんど備えていないようにも思われる。ただただ、異様な狂気と殺気にあふれているのだ。しかし、それにもかかわらず/それがゆえに、この作品はやはり一種の奇跡的な魅力をたたえている。否、ここでも、「この作品が上映されるという出来事は」と前文を正確に言い換えておこう。
 この上映はすごい。『腹腹時計』すらまともな映画に思えるほどだ。まず、映像と音がまったくあっていない。オリジナルは35mmで撮影しているらしいのだが、上映は16mm。音声シンクロなし。監督がセリフ部分が入った録音テープを、映写機と同時スタートさせ、無理やり手動でシンクロさせ(ようとし)ているのだ! だから役者の口の動きとセリフは完全にズレる。ズレが甚だしくなると(どうも音声テープの方が速く進んでしまうようで)映像を一時停止させて(!)、少しでもシンクロするようにする微調整。当然、そんな努力は焼け石に水で、しばらくするとまた壮絶なズレ方をするようになる。するとまた一時停止。ひたすらこの繰り返し! 西暦2007年の出来事とは思えないが、ほんとうにこの調子なのである*4。だから、結構複雑なストーリーなのに、もともと聞き取りにくい音声である上に、場面とセリフが一致していないから、もはや筋立ての理解に支障をきたすようになる。私も最後の方の筋は完全には追えていない(ストーリーを把握できないと映画を楽しめない人にこの作品はきついだろう)。そして、例によって無意味に長い殺陣のシーンが続く。渡辺が中曽根のとりまきと木刀でチャンバラをするのだが、これがまた例によって例のごとくで、たとえば、木刀で打ち合っているのに、おびただしい血が噴出する(笑)。しかもこの血が、一目で赤絵の具だとわかる血糊。さらに、渡辺はときどき相手を斬らず、太めの体で体当たりしてつきおとしたりしている。もはや殺陣であるといえるかどうか怪しい・・・。凶悪な殺気と、壮絶な脱力感の共存。世にも珍しいアクション・シーンがここには生み出されているのだ。結局、渡辺が撮りたかったのは、自ら演じるこの殺陣なのではないかという気がしてくる。そして、実のところ彼は社会派でも反体制でもなく(仮に彼がそのように自認しているとしても)、たんにゲテモノ・キワモノが好きで、アクションが好きなだけではないか。それは、「この焼けた肉片が娘の唯一のもの」などというキワドイ惹句が書かれた上映会のポスターをみると、よくわかる。ようするに見世物小屋の感覚だ。この人は体制でも反体制でもなく、非体制なのかもしれない。じつは社会性皆無の、一種の怪奇幻想趣味なのではないか。そんな気さえしてくるのだ。それでも/だからこそ、渡辺の映画は面白い。2本目をみて、私はますます渡辺ファンになった。残りの作品も、ぜひ全てみてみたい。
 
 尾行をまいて
 2作品を観ただけなのに、あまりに濃すぎる映画体験であった。これほど緊張感を持って映画を観る機会はなかなかないだろう。横浜での上映会の様子を伝え聞いていたので(会場周辺を右翼の街宣車が取り囲み、明らかに公安と分かる風体の男が会場に多数潜伏。ほんとうに純粋な観客より公安のほうが多いほどだとか)、まちがいなく公安がいるはずだと信じ、会場でそれらしい人を探すが、ほとんどみあたらない。さすが彼らはプロだ。一目でわかるようでは密偵は務まらない。どうみても公安に見えない人が怪しいのかもしれない。私は会場にいたヒッピーの生き残りみたいな長髪で頭が爆発しているおじさん(今はなき鬼才編集者・安原顕の風貌にそっくり)とか、アート系専門学校生みたいな女の子数名(いわゆる「文化系女子」)が、かえって怪しいと思ったが、実際どうだったのだろうか。会場では「どれが公安かな?」なんてことは間違っても言えない。同行した友人とは符牒を使って話す。「公安」をフランス語に直訳した言葉を使っていたのだが、聞き耳を立てていた捜査員は理解しただろか。帰路は尾行を捲くため(笑)、渋谷まで歩く。途中、喫茶店に潜伏し、追っ手の影が完全に消えてから駅に向かった。

※画像は上映会の予告ポスター。文京区某所に掲出されていた。

*1:さらに面白い話を書いておくと、この次子夫人は、渡辺がかつて家庭教師をしていた子供のお母さんだったという。つまり前の旦那さんとの間に子供もいたのだが、別れて渡辺監督と再婚し、いま監督との間にお子さんがいる、ということ。これは会場で買った監督の作品『罵詈雑言』のパンフレットに書かれている。あのヤバい監督の奥様がこんな地味な人というのにまず驚き、この地味な女性にそんな過去があったことに再度驚く。いやはや、奥様は監督以上にすごい。素敵。

*2:他にも、例えば火炎瓶製造法のパンフレットは「球根栽培法」というタイトルだった。

*3:ところで、いまこの文章を書いているコンピューターにはMicrosoft IME 2002という日本語入力システムが標準で入っているのだが、なぜか「おすたかやま」を「御巣鷹山」と変換できない。有名な山の名前はたいてい変換できるし、歴史的事件に関わる地名もほとんど変換できる。裏磐梯でも剣山でも新高山でも雲仙普賢岳でも一発で変換できる。白痴や穢多・非人や気狂いが変換できないのと同じく、タブーなのか?

*4:ことによると、この手動シンクロは、資金がないからという理由ではなく、渡辺の演出の一部なのではないか? 彼ならやりかねない。