グィッチャルディーニ 『フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ』
フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)
- 作者: フランチェスコグィッチャルディーニ,Francesco Guicciardini,永井三明
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/06
- メディア: 文庫
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いくつかの断片を引用しよう:
一九九 意図を隠す
君の意図しているところを他人にたいして偽装したり、隠しだてをしようとするときはいつも、君が使うことのできるいちばんとっておきの、そしてききめのある根拠を彼らに見せつけて、それによって、君の本心とは正反対のことを考えているのだと思いこませることに骨を折るべきである。〔…〕(164ページ)
一〇〇 見方につける法
そのままにしておいたら反対の立場に立つにちがいない連中のうち誰かを、君の計画の支持者にしたてあげる方法の一つは、その男を長にすえて、あたかも彼がその計画の主催者であり発起人であるかのようにしむけることである。軽薄な人間にかぎって、この方法にはころりとまいうものである。〔…〕(164ページ)
一五四 君主の秘密
君主には秘密が山ほどある。また彼が気を使わなければならないこともきりがない。したがって、君主はむこう見ずに急いで決断を下すことになるのである。だから君主が、ある一つの理由で行動をおこしたのだ、と君が推測しても、実は君主は別の理由で行動したのだということがよくあるものである。また君主がゆきあたりばったりでろくに考えもせずに、打った手のように君には思われても、実は巧妙に考えぬかれた秘策であることが多いものである。(138ページ)
これらの引用をよむと、マキアヴェッリやカスティリオーネの同時代人であることがよくわかるが、とにかく貴族、宮廷人、君主というのは一言でいえば「韜晦」なのだ。だから、彼らが難渋で知られるスペインの詩人ルイス・デ・ゴンゴラ(1561〜1621)の同時代人であることもまた必然的である。このような処世訓はもう100年もするとバルタサール・グラシアン(1601〜1658)の狡猾な人生美学としてマニエリスム化される。