都知事選、平成の神々、安心・安全

clair-de-lune2007-03-27

 例のごとく今回も盛り上がっている。東京への愛に溢れるラヴリーな候補たちについてはfalcon1125さんがブログ「備忘録」3/23および3/25に詳細に書かれているのでそちらを見ていただくとよい。政府転覆を叫び、有権者にむかって中指を立ててしまった外山恒一さんの動画などを楽しむことができる。今朝もNHKでは外山さんのライヴを楽しむことができた。
 唯一ネ申又吉イエスは残念ながら出馬されていないが、神がかった候補たちが何人か降臨出馬されている。

内川久美子(49)無所属新人

 風水研究家が出馬していると聞いていたが、この人がそうだったのか。選挙公報をみるかぎり女性運動系の人ぐらいにしか見えない。政見放送で風水云々と言っているのをきいてはじめて知った。ポスターや選挙公報の写真より、映像で見るほうが美しいです(笑)。まあ、風水はいわば人工環境の生態学とか都市工学の面があるから、一国の首都の知事としてはふさわしいのかもしれない。

高島龍峰(71)無所属新人

 易者らしい。高島易団総本部総本家総裁。
 公式サイト http://www.takashimaeki.org/index.html
 選挙公報によると「ダライ・ラマ方法王より昭和六二年に先天太子の称号を受けた」。“平成の神々”のプロフィールはラマ様を引き合いに出すのが定石。われらが麻原さんも著書にかならず書いていたなぁ。


 まあ、平成の神々には健闘していただきたいのだが、しかし選挙公報を読んでいると、石原・浅野両候補はもとより、やけのやんぱちみたいな候補たちも少なからず「安心」「安全」「防犯」という類のキーワードを広報や政見のなかで述べているのは気になる。最近ではこの種の通俗的な治安系言説は「安心・安全」という頭韻を踏んだ連語によって、一種のコピーのように使われる。こういう語呂のいいキー・ワードというのは、しばしば深く考えずに発語され、やはり深い思考を伴わずに了解されてしまう(だからこそ商業広告のコピーには有効なのだ)。何かを話しているようで何も語っていない、何かを聞いたようでいて実は意味内実を把握していない簡潔なフレーズの反復は、一種の自動症 (automatisme) である。創作行為の automatisme はシュルレアリストの自動書記のように愉快だが、政治を語る言説の automatisme はこの社会にたいする思惟の放棄を意味する。その帰結するところは明らかだろう。ブレヒトではないが、文学的テクスト以上に政治的テクストにこそ、もっと〈異化〉を。

※画像は大槻ケンヂ・・・ではなく、中指を立てる外山恒一氏。25日放送のNHK政見放送より。