健康カルト

 フジテレビ系列関西テレビ制作の番組「あるある大辞典」の情報捏造が問題になっているらしい。納豆を食べ続けると痩せるとか何とか、ありもしない健康効果をでっちあげたとか。毎日納豆を食べているが標準体重を大きく超過している私にはまったく信憑性を持たない話だが、真に受けて納豆を買い占めた人がかなりいたという。そんな純真な心を持つ人が多くいたのなら結構な話ではないかと私は暖かい気持ちになるけれど(笑)、まあ当然ながら、フジ産経系以外のメディアは、鬼の首を取ったように捏造番組だと糾弾している。畏友id:falcon1125氏などは、あんなものはメディアリテラシーの教材だとシニカルに書いていらっしゃる。そのとおりだと私も思う。だいたい他のマスメディアだって叩けばほこりが出る身だろうに。そういえばメディア論系の学会の席でN○Kの元ディレクターが言っていた。番組をつくるときスタッフの間で合い言葉だったのは「嘘ではないよな?」だった、と。つまり、このように伝えるのは、真実ではないかもしれないが、かならずしも嘘をいっているわけではないな、と。日頃から、そういう捏造一歩手前のところで番組はつくられているのであろう。
 そしてメディアの問題とは別に、ひとつ思うのは、「健康によい」からという理由(だけ)で或る食品を摂取するというのがきわめて「不健康な」態度であるということだ。生きるためにはできれば健康なほうがよいというだけのことであって、健康であるために生きるのではない。健康であるために生きるのは一種のマニエリスムである。藝術のマニエリスムは愉快だが倫理のマニエリスムはいただけない。「健康になれるためなら死んでもいい」と言わんばかりだと揶揄されるような、今日の健康への強迫神経症は早急に治療されるべきである。人間少々不健康だって生きられるのだ。だから今回の不祥事への反応が少々過剰気味なのも気になる。たしかに番組にあったような納豆の健康効果は事実でないようだが、それは納豆を食べてもとくに健康になるわけではないという話であって、納豆を食べると病気になるということではないのである。だからあの番組を無邪気に信じて納豆をせっせと食べたとしてもべつに実害はないだろう。なのにこの騒ぎ。これもなかば神経症だと思う(まあ、このあたりは必ずしも健康をめぐる報道に神経過敏になっているというだけでなく、業界内の思惑も錯綜しているようで、この捏造不祥事を報じる番組をも、健康番組を見るのと同じぐらいシニカルに見る必要があるのだろうけど)。
 食品と健康ということでひとつまじめな話をしておくと、そんなに健康に気を使うなら、ほんとうに健康によい食品であろうとそうでなかろうと、特定のものを連続して食べるのはそもそも危険だということを知るべきである。これは資源物理学者の槌田敦さんが昔からさんざん書いていることだが、万一或る食品が(健康効果があるとしても、それとは別に、水俣病のときの魚の水銀汚染のようにイレギュラーな形で)何らかの害毒を持っていれば影響は濃厚にあらわれる。だが、適当にいろいろなものを食べていれば、或る食品に害毒があっても相対的に薄められ、毒としての作用を持つ閾値以下になるかもしれない。だからそこらで売っているものは、とにかく何でも食べるほうがいいのである。
 この問題について、参考になる本を科学史・科学論の分野から紹介しよう。

健康帝国ナチス

健康帝国ナチス

 →2003年刊、2200円。啓蒙主義の行着く末がアウシュヴィッツだといったのはフランクフルト学派の二人の哲学者であったが、健康主義のはてにもアウシュヴィッツがあることを本書は教えてくれる。菜食主義者ヒトラーは「健康は義務である」として禁煙運動や健康食運動を推進した。
環境保護運動はどこが間違っているのか? (宝島社文庫)

環境保護運動はどこが間違っているのか? (宝島社文庫)

 →単行本1992年刊、宝島社文庫版(増補改訂版)1999年、ともに品切。健康食品ばかりを食べるのは不健康だとか、ゴミは分別回収してはならないとか、過激な主張で、「エコロジスト」たちに大変不評な本。まあ、槌田さんはエントロピー論が専門で、極端なことを言うのが好きな人なので話半分で読む必要があるが、なかなか名著。ちなみに著者はべつに地球環境保護に反対なわけではなくて、原発不可能論でも有名な人。