エリザベス・シッダル

 或る必要があって、十九世紀末、ラファエル前派の画家たち、とくにダンテ・ガブリエル・ロセッティに愛された美女エリザベス・シッダル(通称リジー)に関する資料を何冊か読む。
 リジーはジョン・エバレット・ミレイの《オフィーリア》のモデルとなったときの逸話が有名だ。ミレイは水に溺れ死にゆくオフィーリアのモデルとして、リジーを水をはったバスタブに沈めた。もちろん、寒くないように、バスタブの下にランプを置いて加熱し、水温っが下がらないように注意した。だが、ミレイは描くことに熱中するあまり、ランプの焔が消えていることに気づかない。水温はみるみる下がっていく。だが、リジーは不平ひとつ言わず、水の冷たさに耐え、モデルとしての役割をロセッティが満足するまで果たす。《オフィーリア》の、まさに死なんとする恍惚の表情は、リジーの演技でも、ロセッティが脚色した表情でもなく、モデルがほんとうに冷たい水に浸かって死にそうになっていた(!)表情の写実的描写なのだ。実際、リジーはこのモデルの仕事を終えた後、ひどい風邪をひき、肺炎のような状態になっている。
 ところで哲学者ガストン・バシュラールは「水のなかでの若い女性の死」というモチーフを「オフィーリアのコンプレックス」と名付けている(『水と夢』)。それは、水=涙に溺れて死ぬ女性の死、傲慢さからも復讐からも遠い、マゾヒスティックな死であるとバシュラールは述べる。リジーのその後の生涯を考えると、この《オフィーリア》における「水のなかの死」は、なんとも予言的だ。ロセッティに尽くしながら、彼につれなくされ続け、精神疾患や流産といった不幸につぎつぎと見舞われたリジーは、アヘン・チンキの濫用へと「溺れて」いき、最後はなかば自殺のような死をとげる。その死は、自分という恋人がありながら、つぎつぎとモデルたちに手をつけるロセッティ――自分をダンテにおけるベアトリーチェ=死して祝福される女として理想化する(ダンテは『新生』のなかで死して天に召されれるベアトリーチェの幻影をみる)画家――に殉じた死を遂げたのだから。

Collected Poetry and Prose

Collected Poetry and Prose

ロセッティの主要テクストを集める。「召されし乙女」(Blessed Damozel ) やダンテ『新生』(Vita nuova)の英訳を収める。

Original Supermodel: Elizabeth Siddal, the Pre-Raphaelite Muse

Original Supermodel: Elizabeth Siddal, the Pre-Raphaelite Muse

ジーの評伝。

ラファエル前派の女たち

ラファエル前派の女たち

ジー・シッダル、ジェイン・モリスなど、ラファエル前派の絵画作品のモデルとなり、画家たちの妻であり、愛人であり、ミューズであり、ピュグマリオン的な少女であった女性たちに焦点化した研究書。

D.G.ロセッティ

D.G.ロセッティ

フランスの研究者の手になるD.G.ロセッティの評伝。