表象文化論学会 2006年研究発表集会

http://www.repre.org/event/meeting/061118meeting/day1/

日時:2006年11月18日(土)・19日(日)
会場:東京外国語大学 府中キャンパス(東京都府中市朝日町3-11-1)研究講義棟 [アクセスマップ]
参加費:会員=無料/非会員=1日ごとに1000円(事前登録不要)
*満席の場合には立ち見あるいは会場に入れない場合もあることをあらかじめご了承ください。


11月18日(土) 14:00-17:00 研究講義棟227教室
シンポジウム「記憶の体制」

【パネリスト】
岡崎 乾二郎(美術家・近畿大学
岡田 温司(京都大学
小林 康夫(東京大学
田中 純(東京大学
和田 忠彦(東京外国語大学

【司会】
松浦 寿夫(東京外国語大学

【概要】
昨今の日本の美術界の話題を構成したものが一連の盗作問題であり、また相次ぐ新美術館の開館という出来事であったことは誰もが知っていることである。それは跡形もなく消費されてしまう程度の瑣末な話題にすぎないとも受けとめられかねない。だが、この二つの出来事は、それぞれ異なった仕方であるとはいえ、いずれも、記憶の体制と密接に連関しているとはいえないだろうか。
だとすれば、この遍在的な記憶の体制のもとで、あるいは、この体制とともに、自らの実践を形成していかなければならぬ芸術家の制作行為と、この瑣末な話題も決して無縁ではありえない。また、形式主義的な批評の言説の体系が、歴史的な説明原理との切断とともに自らを組織化する所作をとりながらも、最終的な審級において歴史を統制原理として要請する現実も、また、これらの出来事と無縁ではありえない。
そこで、今回のシンポジウムでは、今日の諸芸術の制作の場面で、この記憶の体制の作動の局面を複数の声で描き出すことを課題とする。


11月18日(土) 18:00- 大学会館2F 特別食堂
懇親会

※会費制
※会員およびその同伴者のみが対象です。


11月19日(日)
パネル1:音・音響・音楽
パネル2:〈知覚〉の経験
パネル3:表象と/の哲学
パネル4:記憶と歴史
パネル5:メディアの〈近代〉
パネル6:20世紀前半の政治―芸術運動
研究発表 ポイエーシスの現場


11月19日(日) 10:30-12:30 午前の部
パネル1:音・音響・音楽 研究講義棟212教室
【司会】長木誠司(東京大学

岡部宗吉(京都大学大学院)
ヴィンチェンツォ・ガリレイのモノディ実験作品とその周辺:ダンテ・ラメント・ジェンダー

 16世紀後半にフィレンツェで活躍した音楽家ヴィンチェンツォ・ガリレイは、著書『古代と現代の音楽に関する対話』(1581)において、古代ギリシア音楽の復興を目指し、後に「モノディ」と呼ばれる独唱歌を提唱したことで知られる。そして、その理念に基づき、ダンテ『神曲』「地獄篇」から"ウゴリーノ伯の嘆き"に作曲し歌ったと伝えられている。しかし、この作品は、楽譜が現存せず、ごくわずかな当時の記録から察するに、好評を博したとは考えがたい。本発表では、ガリレイが選んだテクストに注目し、同時代のダンテ受容との関わりや、続く世代のモンテヴェルディの仕事に照らして、この試みの文化的な背景と意義を考察する。
 ダンテを歌詞とする楽曲は当時数少なく、とりわけ"ウゴリーノ伯の嘆き"への作曲はきわめて異例である。ガリレイの作品が成功しなかったであろうことは、詞の凄惨な内容やダンテに与えられていた否定的評価から推察できるが、「嘆き(ラメント)」を歌うのが男性であることも問題含みだったのではないか。実際、ガリレイの著作に時折見られる、ジェンダーによる比喩表現からは、彼が当時の「女性論争」に無関心ではなかったことがうかがえる。ガリレイのモノディ実験作品は、近年フェミニズム音楽学者によって活発に論じられている、音楽劇におけるジェンダーの表現に関するモンテヴェルディの試行錯誤を予告するものでもあったと私は考える。


恩地元子(東京芸術大学非常勤)
足音を聴くこと:身体の博物誌のための一試論

本発表は、文化のリソースとしての身体の可能性について、一般には、顔や手よりも鈍感で表現力に乏しく、ときには貶められさえする<あし>(足/脚)に焦点を当てて論じる研究の一環として、聴覚との関わりを扱うものである。楽譜のような視覚的なコードに定位することが困難な足音は、通常、「そういえば、足音がしていた」という程度に意識されるか、あるいは、マンガなどにおける誇張された擬音の表現によって初めて気づかされるものであるが、それが、どのような局面において、表象として聴かれるようになるのかを、様々な芸術分野を参照しながら分析する。映画、アニメーションなどにおいて歩行は、動作主(人間とは限らない)、あるいはその状態を明示することが多いが、明示し得ないことに意味がある場合もある。実演芸術(タップ・ダンス、フラメンコ、アイリッシュ・ダンス、能、歌舞伎など)において、地面を踏み鳴らす行為を微細に聴き分けてみれば、<あし>のテクノロジーの諸相をかいま見ることができよう。視覚の支配によって覆い隠されていた足音の資源性を明らかにすることは、身体の知としての<あし>の本性に、光を当てることになるだろう。さらには、日常的な歩行において足音を意識させる契機となる建築物に注目することにより、足音を聴くことから可能になる、世界とのもうひとつの関わり方を提案したい。複数の領域から、口頭発表に適した事例を選ぶ予定である。


11月19日(日) 10:30-12:30 午前の部
パネル2:〈知覚〉の経験 研究講義棟213教室
【司会】加治屋健司(東京大学非常勤)

斉藤尚大(都立豊島病院)
群舞の知覚と経験について

 古代の祭式から現代のレイヴ・パーティに至るまで、集団での舞踊はどのように知覚され、またどのような経験をもたらしているのか。本発表では、認知や情動および記憶に関する脳科学の知見を援用して、群舞に舞踊する身体が巻き込まれていく過程や、群舞に外部から眼差しを注ぐ際の認知の機構について推論的な考察を試みる。まず、様々な群舞に共通して認められる特徴である反復的な動きのユニゾンとその「引き込み」効果について、ミラーニューロンの関与および脳の各部位の機能的なカップリングという観点から考察する。次に、引き込みによって生じる強い情動である「恍惚」という感覚について、宗教舞踊の研究またレイヴ・パーティでしばしば服用される薬剤であるMDMAを用いたラットの実験を参照して、脳の報酬系の作用として考察する。また、群舞は民族の歴史や指導者の威光を讃える政治的表象の場面でしばしば用いられている。ここで舞踊は、モニュメンタルな出来事を集団的記憶として喚起したり、個人の記憶に植え付けたりする装置として期待されていると考えられる。最後にこの機能について、記憶のマルチプルトレースセオリーなどを援用して考察する。


福田貴成(東京大学大学院)
臨床の「聴取の技法」:間接聴診法の歴史における技術と身体の地位

 聴診器 stethoscope 及びそれを用いた診断技法である間接聴診法 auscultation mediate は、19世紀における聴覚表象技術と認識とのかかわりを考察する上で、重要な位置を占めていると思われる。1810年代に生まれた聴診器は、医師と患者の身体とを「媒介」し、診断という名の認識を可能にするという点で、「メディア技術」の原初的形態のひとつであったと見なしうる。一方で、聴診器・間接聴診法誕生の時期はまた、今日的な聴覚メディア技術の基本的属性である、音響の記録・再生がいまだ不可能であった時期でもあり、およそ60年後、フォノグラフの名の下にエディソンによって実現されるが、そのことが、この器具・診断法にかかわる認識のあり方に、ある独特な様相を与えている。本発表では、聴診器・間接聴診法の確立者であるラエンネック(E. T. H. Laennec, 1781-1826)の業績以降、19世紀末葉までのその技術的・診断技法的変遷を、音響の記録・再生にかかわる工学史、及び音響の分析にかかわる音響学史との関連のなかに位置づけ、臨床のいわば「聴取の技法」が、聴覚メディア技術の進展との接続によって経ることになった変容の様相を明確化する。とりわけ、聴取する身体の地位、およびその身体が聴取する徴候の存在様態の変化とその意味を明らかにし、「聴くことの近代」を考察するためのひとつの視点を呈示したい。


三浦哲哉(東京大学大学院)
「サスペンス」と映画の自意識

 本論考は、映画の表現形式としての「サスペンス」を対象とし、この形式が20世紀中葉におけるいわゆる「古典映画」から「現代映画」への移行においていかなる役割を果たしたかを考察する。 まず第一に、アルフレッド・ヒッチコックが1910年代以降ハリウッドで作られていた「古典映画」を飽和点に導き、フランスのヌーヴェル・ヴァーグに代表される批評家主導の「現代映画」を準備したという映画史的な見取り図を確認したうえで、形式としての「サスペンス」が、「古典映画」の臨界点を露呈させる内的な必然を有していたことを明らかにする。すなわち、1)空間と時間の分節化、イメージの因果的な構築において、「サスペンス」は常に「限界」と戯れ、「限界」を意識化させることで、映画をメタレベルに至らせる。今日作られる多くの映画がヒッチコックの模倣に見えてしまう理由もここにある。2)多くのヒッチコック作品には「観客の形象」が填め込まれているが(cf.『裏窓』)、「サスペンス」は観客の「心理」を係数として含みもつ形式であり、その限りで、「見る」行為を二重化させ、顕在化する。 以上を踏まえて、本論稿が最終的に提示するのは、ヒッチコックが完成させた「サスペンス」形式こそが「古典映画」を飽和させ、また映画理論史的観点からは、特に「観客論」の分野において、カテゴリーとしての「古典」を俯瞰しうる地点を準備したという見解である。


11月19日(日) 10:30-12:30 午前の部
パネル3:表象と/の哲学 研究講義棟214教室
【司会】小林康夫東京大学

石岡良治東京大学大学院)
ジル・ドゥルーズの芸術論における「プラン」概念について

 ジル・ドゥルーズにとって芸術は、科学と共に、哲学的思考に関わる重要な活動であり、独自の位置付けがなされている。フェリックス・ガタリとの共著『哲学とは何か』によれば、これら諸活動はそれぞれの「平面」を形成する。哲学の「内在平面」、科学の「準拠平面」に対して、芸術は「合成=創作平面(plan de composition)」に関わっており、芸術作品はそこで、音や色彩、言葉といった素材を用いて、被知覚態(percept)や変様態(affect)からなる感覚のブロックを打ち立てる。
 だが他方で、ドゥルーズの芸術論において「平面=プラン(plan)」は、以上のような共通規定のみならず、具体的な規定を有している。その興味深い事例として、『シネマ:運動=イメージ』における「シークエンス・ショット」をめぐる議論が挙げられよう。ここでドゥルーズは映画における「被写体深度」の問題を論じつつ、ハインリヒ・ヴェルフリンの絵画論における「平面性と深奥性」の分析を参照している。
 このような絵画論の映画への適用は、フランス語における「プラン」が映画の「ショット」をも意味することに由来しており、一見すると恣意的な印象を与えるものとなっている。だが本発表では、むしろ「プラン」概念にみられるような様々なレベルの議論の交錯こそが、ドゥルーズにおける芸術と思考の関係の規定にとって積極的な重要性を持つことを示したい。


國分功一郎東京大学21世紀COEプログラム「共生のための国際哲学交流センター」研究拠点形成特任研究員)
論述の二つの体制:デカルトスピノザ

デカルトの『方法序説』とスピノザの『知性改善論』はどちらも17世紀を代表する方法論であることから比較されることが多い。内容も驚くほどに一致する。『方法序説』は著者の修業時代の経験から語り起こされているが、『知性改善論』の冒頭に書かれているのも著者の経験である。その後で真理探究の決意を語るところ、真理発見までの暫定的生活規則を立てるところも同じだ。
だが、興味深いのは、一致の後に訪れる不一致である。デカルトは、決意を述べた後、自らが行った真理の発見の瞬間を語る。ところが、スピノザは、決意を述べた後、いつまでたっても真理の発見の瞬間を語らない。それをはぐらかす表現が現れ、なし崩しで議論が続く。
デカルトはかつて現前(present)した探求なり真理なりを、著作に再=現前(re-presente)しているのであり、その意味で、『方法序説』の論述の体制を、表象(representation)の体制と呼ぶことができる。対し、スピノザはおそらく真理を表象の対象と見なすのを拒むが故に、真理の発見の瞬間について語らない。スピノザは、真理が著作の中に生成し、現前することを目論んでいるのであって、その意味で、彼の目指す論述の体制を、現前(presentation)の体制と呼ぶことができる。
本発表は、この仮説をもとにして真理と表象の関係を論じるとともに、論述の体制というテーマを立てることの意味について考える。


星野太(東京大学大学院)
「表象」への懐疑:ラランド『哲学辞典』とベルクソン

フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859‐1941)は、『フランス哲学会誌』に掲載された1901年の会議録において、フランス語における哲学用語としての「表象」の曖昧さを指摘している。このベルクソンの発言によれば、当時の「表象」(representation)という言葉はしばしば「精神にはじめて呈示された知的対象を指すもの」としても用いられていた。この事実は、歴史的に見ればヴォルフやライプニッツラテン語のperceptioのドイツ語訳として「表象」(Vorstellung)という語を当てたことの影響であると考えることができる。だがベルクソンはまさにここで、そうした曖昧さを払拭し、「純粋かつ端的に精神に対して呈示されたあらゆるものを一般的な仕方で指し示すために」、心理学の用語である「presentationという語を導入する」必要性を強調する。ここには、「現前(プレザンタシオン)」に対して「表象=再現前(ルプレザンタシオン)」を下位に置く思考の萌芽を見ることができるだろう。ただし一方で、ベルクソンは「表象」という言葉における「re」という接頭辞が、元来「複製的な」価値を持っていたという考え方には懐疑的だった。本発表では、比較的注目されることの少ないこのベルクソンの発言を手がかりとして、20世紀初頭のフランスにおける「表象」の概念に新たな光を当てることを試みたい。


11月19日(日) 13:30-16:10 午後の部(1)
パネル4:記憶と歴史 研究講義棟212教室
【司会】香川檀(武蔵大学

井戸美里(東京大学大学院)
境界としての洲浜

本発表では、〈浜〉と〈松〉という中心的モティーフの組み合わせによって成り立つ洲浜の形象を、調度、かざり物や絵画作品を通して考察する。具体的には、大嘗会(だいじょうえ)のつくり物である標山から、和歌・連歌や歌舞伎に際して置かれる洲浜台、調度・茶器などに見える洲浜の意匠、「浜松図」や「日月山水図」などの屏風類、絵巻物等の画中画として描かれる洲浜などを分析する。また、和歌や文学作品なども併せて考察することで、これらの洲浜の形象が、一時的な非日常としての「聖なる領域」を出現させるための舞台装置のような役割を担っており、芸能を成立させるために不可欠な存在であったことを指摘したい。
さらに、描かれた洲浜のモティーフは、境界を仕切る屏風とともに、臨終や法会の場、さらには芸能空間において、境界線を創出させるメディアとして機能していたと思われる。さまざまな儀礼や芸能が行われる座敷空間では、金屏風などに描かれた〈浜〉や〈花木〉のモティーフは、非日常の場を一時的にしつらえるためのスクリーンとなっていたと考えられる。このことは西本願寺の演能が行われる大広間の花木図、能舞台の背景の松図に見ることもできよう。能舞台の〈松〉については、慶長期まで遡ることができることを資料上から指摘し、〈松〉と〈白洲〉を敷き詰めた空間には洲浜の記憶が「聖性」とともに喚起されていた可能性について論じたい。


小澤京子(東京大学大学院)
不可視の過去を可視化すること:ピラネージによる古代形象の「考古学」的復元手法について

18世紀後半のローマで活躍した銅版画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720−78)は、古代ローマの景観を想像的に再構築した『ローマの古代遺跡』などの「紙上建築」で知られている。
彼は人気銅版画家であり、そして自己規定の上では常に「建築家」だったが、それと同時に「考古学者」でもあった。画業前期には虚構性の強い作品を多く残しているが、次第にローマの古代遺跡や古遺物断片、古代地図の復元図へと移行してゆく。彼が活躍したのは、ローマ遺跡の学術的な発掘が開始され、ルネサンス以来の「古遺物愛好」の伝統という土壌のうちに、科学的な学問体系としての「考古学」の萌芽が見られた時代である。このような思潮の中でピラネージは、古代的形象の発掘と展示を、紙上でいわば代理的に行った。 古代の姿そのものは不可視であり、それは現在に残された断片を通して想像的に「復元」されることではじめて可視化される。古代ローマという過去の(集合的)記憶を呼び戻し、それを視覚的な形象として二次元上に配置し定着させるときのピラネージ特有のやり方を、同時代の考古学的な図版と比較しつつ明らかにすることが、本発表の目的である。ピラネージ作品の一特徴でもあるメタ・イメージ性(一つの作品におけるイメージの入れ子構造)と、同時代における「過去」「古代」の認識のあり方(ならびに、そこからのピラネージの偏差)が、本発表の主要な論点となる。


小松原由理(東京外国語大学大学院)
「ずれ」が生成する〈場〉、〈フォトモンタージュ〉:ラウール・ハウスマンとハンナ・ヘーヒにおける「頭」の表象をめぐって

 ラウール・ハウスマンが1919年頃に作成した木製の「マシーン頭」は、マシーンと化した現代人を挑発的に表象する、まさにダダイズムのシンボルとして今日扱われている。だがこの「頭」をモチーフとし、ハウスマンと恋人ハンナ・ヘーヒが、その後さまざまな「頭」のイメージをそれぞれに創作し展開させていったことは、あまり知られていない。しかも、彼らが「頭」のイメージに反映させたのは互いのセルフイメージの誇張であり、そうしたイメージとイメージの応酬は、時差を孕みながら、まさに「頭」をめぐる2人の<対話>を成立させていたのである。本発表では、「頭」をめぐり生み出された2人の作品を実際に参照しながら、イメージの「戯れ」の<場>、そして「ずれ」を生成させるという彼らの「やり取り」を可能とした<場>である<フォトモンタージュ>技法の効力について、改めて考察を深めたい。


橋本一径(東京大学大学院)
アイデンティティモンタージュ:「モンタージュ写真」小史

犯罪捜査の現場で活躍する、いわゆる「モンタージュ写真」は、1950年代にフランス・リヨンの警察官ピエール・シャボが開発した「ロボット・ポートレート」を起源に持つとされる技術である。犯罪捜査技術の歴史においては、モンタージュ写真は、アルフォンス・ベルティヨンが考案した「口述ポートレート」を引き継ぐ技術として語られるのが一般的である。本発表はモンタージュ写真のこのような行刑学史上の位置を確認した上で、視覚文化史的な観点からこの技術を捉えなおすことを目指す。例えばこの技術は、複数のイメージの断片からひとつのイメージを構成しているという点で、フランシス・ゴルトンが1880年代に発案した「合成肖像」、あるいは1920年代のアヴァンギャルド芸術運動における「フォトモンタージュ」に結実するような、19世紀のアマチュア写真家の諸実践とも比較することが可能だろう。これらの実践は、「カメラなき写真」と呼ばれたアヴァンギャルドのそれが典型的なように、現実には存在しない対象を映像化する試みであった。モンタージュ写真が生み出す人物像は、これらの実践に照らし合わせて見た場合、どのような特性を持つものだと言えるのだろうか。こうした問いを通して、人間のアイデンティティとイメージの関係を理解するための新たな視座を準備することが、本発表の最終的な目標となる。


11月19日(日) 13:30-16:10 午後の部(1)
パネル5:メディアの〈近代〉 研究講義棟213教室
【司会】榑沼範久(横浜国立大学

門林岳史(日本学術振興会特別研究員)
四角形の冒険:拡張された場、グレマスからマクルーハンまで

本発表は、構造主義者が多用した数学的概念であるクライン群およびその図式的表現としての「意味の四角形」の命運を系譜的に辿る試みである。構造主義によるクライン群の適用はクロード・レヴィ=ストロースとジャン・ピアジェにその最初期のかたちを見ることができるが、それを独自の論理ツールとして展開させたのはA・J・グレマスの意味論の研究である(『意味について』(1970))。グレマスの「意味の四角形」は、その後フレドリック・ジェイムソン(『政治的無意識』(1981))、次いでロザリンド・クラウス(『視覚的無意識』(1993))によって生産的に読み替えられる。そこで見られる転位は、静的な構造の分析ツールから発見法的な思考のツールへの展開とひとまず要約することができよう。さて、こうした構造主義の文脈とは独立して、マーシャル・マクルーハンの死後出版された共著『メディアの法則』(1988)においてテトラッドと呼ばれる「意味の四角形」と酷似したダイアグラムを提案している。『メディアの法則』は『メディア論』(1964)における自身の探求を形式的な水準で再定式化する試みといえるが、そこで確認される転位がどのようなものであったかは構造主義の系譜から逆照射することによって明らかにできるはずである。以上の読解をもって20世紀後半に見られたダイアグラム的思考の可能性と限界を指摘することが、本発表の最終的な目的である。


中路武士(東京大学大学院)
イメージとメディア:ゴダール、視聴覚的様式と情報技術について

映画において、世界は、運動の技術的文字化によって遠近法的な視点に縮約されるとともに、スクリーンに反復的に投影されることで、イメージという多様体的な襞として身体に折り畳まれ、折り拡げられる。そして、映画の視聴覚的様式は、運動-イメージや時間-イメージという単独的な思考形式として、世界を多様に組み立てる。しかし、情報技術による映画技術の書き換えは、イメージと思考の離散化を呈示し、表象と現前の境界線そのものを問いに付す。ドゥルーズがいうように「映画の生と生存は情報的なるものとの内なる闘争にかかっている」ならば、この書き換えを分析し、イメージとメディアについて考察する必要がある。本発表が目指すのは、ドゥルーズらのイメージ理論とスティグレールらのメディア技術理論を批判的に接続することで、映画の視聴覚的様式がいかに構築され、またそこにいかに情報技術が介入するかを分析し考察することである。その具体的実例として、ゴダールの『愛の世紀』(ネoge de l'amour, 2001)を取り上げ、情報技術に媒介された感覚の論理を、イメージの切断や連結のみならず、記憶の生成および記憶の保存というアルシーヴ的観点を踏まえつつ分析する。問題となるのは、イメージの痕跡を通して、前個体化における視聴覚の生成の場が提示され、他方で記憶の論理そのものが映画的な視聴覚的様式の生成によって思考されるということであろう。


南後由和東京大学大学院)
1960年-70年代のマスメディアにおける建築家の表象:黒川紀章を中心とした建築家の有名性をめぐって

本発表では、1960年〜70年代の建築専門誌、他ジャンル専門誌、一般誌およびテレビなどのマスメディアにおける黒川紀章を中心とした建築家の表象を、丹下健三のそれと比較しながら分析する。定期的に刊行され、特定の建築家特集を組む建築雑誌は、建築界の駆動装置であり、そこには有名建築家を生み出す構造や、組織体制をめぐる建築界の偏差と亀裂がある。そこで、具体的には、建築専門誌(『新建築』、『国際建築』、『近代建築』、『建築文化』、『JA』など)および一般誌の整理や、可能であれば編集者(川添登、田辺員人、宮内嘉久、平良敬一など)への聞き取り調査を交え、集合的に構築される建築家の有名性を、P.ブルデューの「場」、H.S.ベッカーの「芸術界」、J.W.ケアリーの「儀礼的コミュニケーション」の概念などの援用によって考察する。
 また、建築家の有名性は、マスメディア内に充足するものではなく、クライアントの欲望や、都市における空間化のダイナミズムと連関している。そこで、1960年の世界デザイン会議、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博などのメディア・イベントに注目し、建築家の主体性および社会的位置が、都市、マスメディア、クライアントとの関係によっていかに変容していったのかという点に言及する。


野志保(首都大学東京非常勤)
幽霊を見せる:降霊会と近現代視覚メディア

本発表では、ハイズヴィル事件(1848)を嚆矢とする近代スピリチュアリズムの隆盛期において、霊媒を中心として開かれていた降霊会が一種の見世物として展開していく過程を、具体的事例を中心に検証する。創始者のフォックス姉妹の例に代表されるように、スピリチュアリズム揺籃期における降霊会は、霊媒と出席者が一つのテーブルを囲んで行う極めて単純な形式のものだった。だが、50年代半ばになると、空中浮揚で名を馳せたD・D・ヒュームや、ロンドンでの “興行”を大成功させたダヴェンポート兄弟など、派手なパフォーマンスを行う霊媒が登場する。1866年以降は、グッピー夫人によって開発された物質化(materialization)の技法を採用する霊媒が急増し、スペクタクルとしての降霊会は絶頂期を迎える。だが、奇術ショーと区別のつかなくなったこれらの降霊会の大半は、心霊研究協会(SPR)などの研究団体から批判され、フーディーニをはじめとする奇術の専門家たちにより詐術を暴かれていく。幽霊の存在を証明するという当初の目的は果たせなかったものの、幽霊を“見せる”という降霊会の試みは、18世紀に流行したファンタスマゴリアや公開実験の後継であると同時に、X線写真、映画、テレビなど、19世紀末から20世紀初頭にかけて登場する、不可視なものや遠隔地にあるものを可視化する諸視覚メディアの先駆けでもある。


11月19日(日) 13:30-16:10 午後の部(1)
パネル6:20世紀前半の政治―芸術運動 研究講義棟214教室
【司会】:中島隆博東京大学

呉孟晋(東京大学大学院)
中国の"ローカルカラー"とシュルレアリズム:李仲生による1930年代東京でのシュルレアリスム絵画をめぐって

本報告の狙いは、中国・広東出身で1949年に台湾に移った李仲生(1912−1984)が1930年代の東京で制作したシュルレアリスム絵画を手がかりに、20世紀中国でのモダニズム絵画運動の再検討を目指すことにある。李仲生は渡台直後から数年間、台湾で精力的に前衛的な絵画を提唱しており、誤解を恐れずに喩えるならば、岡本太郎ばりの大衆向けパフォーマンス精神と具体美術協会で若手美術家を統率した吉原治良指導力をあわせもった画家であった。
 これまでの台湾での李仲生研究は後年の抽象表現主義的な作品への考察が中心であるが、李の芸術観をたどるうえで30年代の作品群は現存しないものの不可避の命題である。報告者は、まず、当時の雑誌記事や写真図版などから李のシュルレアリスム理解のなかに、日本で初めてシュルレアリスム絵画を紹介した美術評論家・外山卯三郎の影響を指摘する。そして、東京で師事した藤田嗣治東郷青児阿部金剛二科会終結した画家たちの作品と李本人の後期現存作品への分析をもとに、李のシュルレアリスム作品はブルトンの説くそれではなく、ドイツの新表現主義に連なる魔術的リアリズムを継承したものであったことを示したい。
 李仲生は本来コスモポリタンな性格をもつシュルレアリスムに中国の独自性を主張していた。こうした意図的な「誤読」がどのように近現代中国の美術運動を牽引する原動力となったのか、その一事例を明らかにしたい。


小田透(東京大学大学院)
世紀転換期におけるアナキズム的なものの想像力の射程:エマ・ゴールドマンの軌跡

19世紀末、西洋社会は転換期にあった。近代国家システムが構築され、市場経済が世を席巻しつつあり、退化論などの終末論が流行していた。しかしその裏では、袋小路へ向かう社会を変革しようとする思想や運動が渦巻いていた。そのひとつにアナキズムを挙げることができよう。本発表ではロシアに生まれ、移民として渡米し、アメリカでアナキストとして自己形成を果たしたエマ・ゴールドマン(1869-1940)の歩みを範例的に読み解き、世紀末を俯瞰するためのパースペクティヴの提示を試みる。
 まずは当時におけるアナキズムの射程を多角的に捉える必要がある。世紀末アナキズムは暗殺テロリズムからの転換であり、見境のない暴力性への反省であった。だがそれは自画像であり、国家の描く肖像画はむしろ社会における敵対異分子というイメージであった。
 しかしアナキズムの磁場に引きこまれた言説は政治経済的なものをはみ出し、もっと包括的な文化的領域へ拡がっていた。いかなる社会像を思い描くかの想像力の問題が争点だったのである。アナキズムを基点としてそのようなパースペクティヴを想定するならば、世紀末におけるユートピア思想やコミュニズム的なものは複数的な可能性だったのであり、そこではオルタナティヴな可能性への希求が共有されていたことが明らかになるだろう。世紀末を絶望と否定性に横切られた希望と肯定性の時代として語ることが可能になるはずである。


串田純一(東京大学大学院)
気分というこの深い淵:ハイデガーに沿って

 私たち全てにとって極めて身近で重要であるにもかかわらず、いわゆる学問的方法の適用が著しく遅れている現象として、感情、気分、情動などと呼ばれる一群の事象領域がある(いま仮にこれを感・気・情と総称しておく)。ハイデガーは既に『存在と時間』において、了解・語りと並ぶ現存在の根本規定の一つとして「情態性(Befindlichkeit)」を取り出しており、これは彼の哲学の革新性の一端を示すものであるにもかかわらず、従来十分な注意を払われてきたとは言い難い。この問題が最も大規模に扱われるのは1929年度冬学期の講義『形而上学の根本諸概念』であるが、そこでハイデガーは、感・気・情を何らかの理論や体系によって記述・説明しようとするのではなく、そもそも哲学は一つの根本気分において生起するものであり、第一に必要なのは、我々の根本気分を呼び覚ますことだという。そして彼によると、その我々の哲学することの根本気分とは「深い退屈」である。本発表では、このハイデガーの議論を逐次追って紹介すると共に、それが最終的に或る先鋭なアポリアへと行き着いてしまうことを示す。ハイデガーのいわゆる「転回」はこの難局からの撤退としても解釈できるのであるが、私たちはむしろこの困難に粘り強く留まり、感・気・情を学問的に取り扱う方法と環境の整備に努めるべきではないのか、と主張してみたい。


鯖江秀樹(京都大学大学院)
イタリア・ファシズムにおける文化政策アポリア:ジョゼッペ・ボッタイと1920年代末の芸術論争

 近年、プロパガンダや抑圧、大衆の同意獲得といった用語では捉えきれない、イタリア・ファシズム文化の多様性が指摘されている。しかしそれは、傾向の異なる芸術・思想の潮流の折衷として形成されたのではなく、その時々の逼迫した状況で下された決断の集積あるいはその帰結として成立している。ジュゼッペ・ボッタイ(1895-1959)は、この決断に貢献し、全体主義国家における芸術の重要性を擁護した体制側の為政者である。彼が『クリティカ・ファシスタ』誌上で展開した文化論は、以下の二つの問題点に貫かれている。第一に、ロマン主義以降の近代芸術が伴う「悪趣味な顕れ」(断片趣味、非人間化、デカダンスなど)と、「生の永続的な流れ」である古典的伝統とをいかに共存させるか。第二に、政治と平行関係にある芸術をいかに活動状態(in azione)にとどめおくか、という二点である。こうした矛盾を孕むボッタイの文化構想は、当時の芸術・文化の顕れに大きく作用している。
 発表者は、ボッタイ主導の芸術論争が激しさを増す1927年から29年に考察時期を絞り、彼の文化構想とローマを中心とする芸術環境との複雑な絡み合いを分析する。ただし合理主義建築やノヴェチェント派の作品分析ではなく、伝統や古典的なものが芸術論争の中でいかに解釈されたかという美学的問題に力点を置いて報告する。従来とは別の切り口からイタリア・ファシズム文化の多元性を提示し、その意義を再検討することが今回の発表の目的である。


11月19日(日) 16:30-17:30 午後の部(2)
研究発表 ポイエーシスの現場 研究講義棟227教室

相内啓司(京都精華大学
『兎歩の舞』における空間、出来事のイマージュ化について

 表現の現場としての演劇的空間は物理的な要素によって構成される空間と出来事によって成立するが、鑑賞者の経験領域ではたんに物理的な事象としての空間がそこにあり、時間が経過しているのではないということが想像される。演劇的な空間においてはさまざまな構成要素がそれぞれの固有の機能を伴いながら次々に引き起こされる出来事によって時間化され延長される。引き起こされる出来事によって時間化された構成要素は日常の中での透明な存在(機能的存在)であることを止めて、しだいに不透明なオブジェ(機能から切断されたもの/現象)として視覚的にも心理的にも映り始めるのではないだろうか。演劇的な空間はオブジェとしての不透明で露な存在と出来事が重なり合う様相を紡ぎだすことによって、そのような光景をまさにイマージュが生成し戯れる場として組織するといえないだろうか。
 ここでは2006年7月22日に川口・アート・ファクトリー(KAF・キューポラ)で行われた〈水蛭子〉プロジェクトによる公演『兎歩の舞い』をとりあげ、物理的な時空間がどのようにイマージュ化された生成の場として組織化されようとしたのかを表現の現場から報告したい。
 このプロジェクトは音楽(声明、ホーメイ)、音響(デジタル、アナログ)、テクスト(古事記、仏教教典)、舞踊(白拍子インプロビゼーション)、インスタレーション、オブジェ、映像の複合的な要素からなり、4人のアーティストによるコラボレーションである。
 『兎歩の舞い』では起源としての芸術、存在の根源に想いを馳せることがテーマ化されているが、そこには古典的なテクストである、古事記、仏教、民族音楽白拍子と現在性を持った諸要素、映像メディア、実験映画、記録映像、インタラクティブな映像―音響生成システム、現代美術、身体性が交錯し、ときにそれらが前景化、背景化、合成、混在化する。非常に狭い空間でありながら、悠久・無限に時間化されたイマージュとしての光景が繰り広げられたような気がするのだが...。

*ユニット〈水蛭子〉はこのプロジェクトのために組織された:桜井真樹子(声明、ホーメイ白拍子、演出)、相内啓司(映像、インスタレーション、演出)、緒方香織(映像)+小川聡一郎(音響)

*この発表は創作活動のプレゼンテーションを含むもので、時間を長くしてあります。