王兵『鉄西区』第三部「鉄路」(2003年)

clair-de-lune2008-09-30

 ポレポレ東中野にて王兵ワン・ビン)監督のドキュメンタリー映画鉄西区』(Tie Xi Qu: West of Tracks、2003年)を観る。本作は中国遼寧省鞍山市の鉄西区を2000年代初頭に取材したドキュメンタリー。第一部「工場」240分、第二部「街」175分、第三部「鉄路」130分、計545分に及ぶ長大な映画である*1
 今日観たのは第三部「鉄路」(130分)。鉄西区の工場地帯を走る冬の列車に鉄と雪の「物質の詩」を聴き、そこに働く労働者たちの姿、そして彼らの語りに「人間の詩」を聴く。ふたつの詩は奇跡的に協和し、この壮大な映像詩となる。物質の詩も人間の詩も、それぞれ個別に映画の中心的動機として機能する。だが、両者がここまで完全な共鳴をなしている映画を私はこれまで観たことがない。直線の線路が透視図の消失点として消え行く様、赤錆色を帯びた廃墟めいた工場地帯、労働者たちの身体がおりなす日常。ただただそれらを見続けるのみである。秘密警察で働いていた父親が鉄道業務上の罪状で捕らえられ、彼を飼い犬とともに待ちわびる息子が、父の釈放の夜に泥酔してながす涙。嗚咽する息子に長い人生の回顧を語る父。ただただそれを聴き続けるのみである。長時間記録が可能なディジタル・ヴィデオというメディアを使った映画に私は多大な不信感をもっていて、この映画のような企てはいともたやすく長い上映時間をひたすら苦行として耐え忍ばねばならない地獄のような映像となってしまうことを知っているが、本作の130分は至福の一言であった。長時間記録が可能なメディア、中国の広大な大地、石炭を運ぶ貨物列車とその周辺で働く男たち、直線的に延びる長い鉄道、鉄路に沿って広がる工場、そして王兵という天才的映画作家。この映画を構成する、どれ一つとして欠くことのできない様々な要素の出会いは、われわれにとって、なんという僥倖であろうか。

*1:ところで瑣末なことだが、タイトル「鉄西区」は、日本語としてはどう発音するのが自然であろう? 日本公開版のチラシでは「てつにしく」とルビが振られている模様。ポレポレ東中野の場内アナウンスでも「てつにしく」と読んでいた。これだと「西」だけ訓読みすることになる。原音のピンインは Tiěxīqū となるので、素直に音読みすれば「てつせいく」あるいは「てっせいく」であろう。日本語版wikipedia(の情報は必ずしも信頼できないが)によれば、地名としての「鉄西区」は「てつせいく」とのこと。