コッポラ『地獄の黙示録・特別完全版』

 早稲田松竹にて、フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録・特別完全版』(Apocalypse Now -Redux-、2000年、米国、203分)を観る。〈特別完全版〉は今回はじめて観る機会を得た。通常(短尺)版(1979年、米国)を観たのは10年近く前で、私の記憶では、ヴェトナム戦争に材を得ていることは明らかであるものの固有名詞などで特定的にヴェトナム戦争であることを示してはいなかった(あくまでヴェトナム戦争的な戦争という設定であった)ような気がするが、この〈特別完全版〉では明示的にヴェトナム戦争での出来事という設定になっている。
 早稲田松竹は音響が素晴らしいと畏友W氏が教えてくれたので、今回は氏にご一緒いただき観に行くことになった次第。たしかに、音響はきわめて優れており、ヴァーグナーの《ヴァルキューレ》を流しながら空爆する有名なシーンは、DVD等で決して経験できないであろう、発狂しそうな迫力であった。3時間を超える長編であるが、一瞬たりとも退屈することなく見終わり、劇場を出たあとは、なかば放心という状態であった。これは絶対にスクリーンで見るべき映画である。
 《ヴァルキューレ》のシーンの魅力には不覚にも「美しい」という形容詞を口走ってしまいそうになる。それは戦争の美学化・ロマン化という、ほとんどナチスムすれすれの危険をはらんでいるのだが(音楽が《ヴァルキューレ》というのも象徴的である)、これは映画として美しいと述べることにわれわれは躊躇する必要はないだろう。戦闘機が三角形のフォーメイションを形成し飛行する様を、やや俯瞰気味でとらえたショットに《ヴァルキューレ》が鳴り響く。これを美学的に肯定することと、戦争を美学化することは別のことである。むろん他方で、レニ・リーフェンシュタールがそうであったように、戦争や政治の美学化に映画が与する可能性は否定できないのであるが。
 印象的なセリフがあった。「ベトコンは、もとはといえばアメリカがつくったものだ」。9.11以降、何度も言われてきた、「アル・カイーダは、もとはといえばアメリカがつくった」という言葉を思い出す。

地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]

地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]