バルトリンの氷州石研究――17世紀の王権と科学

clair-de-lune2008-02-10

 鉱物文化論についての調査が続いてる。地学史研究者の山田俊弘先生から論文をご恵与いただいたので紹介させていただく。山田先生、どうもありがとうございました。

山田俊弘「君主と鉱物――エラスムスバルトリン『氷州石の実験』 (1669) の含意するもの」、『科学史・科学哲学』、17号、2003年、69-87頁。
 本論文は、デンマークの自然学者エラスムスバルトリン(Erasmus Bartholin, 1625-1698)の『氷州石の実験』(1699)について扱う。従来、バルトリンのこのテクストは、氷州石(透明方解石)を通して見た像が二重に映る現象(複屈折)を初めて明らかにしたものとして、光学史の文脈で評価されることが多かったが、本論文はこれを地質学史の視点から論じるものである。
 17世紀のデンマークは、台頭するスウェーデンの軍勢により、国家衰亡の危機に直面する。この難を打開するため、1661年に「絶対世襲政府文書」が公布され、国王フレゼリック3世は絶対王政を打ち立てる。
 フレゼリック3世は学問に通じた君主であった。彼はいとこにあたるゴットルプ公フレゼリックや先王クリスチャン4世から引き継いだクンストカンマー(珍奇品蒐集室。cabinet of curiosity)の収蔵品を充実させることにも心血を注ぎ、ティコ・ブラーエの遺稿を買い取ったり、宮廷化学者を雇って冶金学の研究をさせたりもしている。1668年にアイスランドで氷州石採掘事業を開始し、ここで発掘された氷州石がバルトリンに供されたのであった。バルトリンが氷州石結晶を用いて研究を行なったことには、このような背景がある。
 エラスムスバルトリンは学者を多く輩出した家系の生まれであった。医学や数学の教育を受け、コペンハーゲン大学教授、学長、勅任数学者、枢密院議員などを歴任する。当代最新の医学をデンマークに移入し、デカルトの業績の普及にも貢献している。著作は「雪の形態について」(1661)、「デカルト自然学について」(1664)など。 
 本論文が扱う『氷州石の実験』は、導入、17種類の実験、それらに対する所見、そこから導かれる10の命題から構成されており、豊富な説明図版が掲載されている。中心になるのは、氷州石を通して見た像が二重になる現象をめぐる実験と議論で、まずこの現象が「反射」によるものではなく、「屈折」によるものであることが示される。そして、二重像を結ぶのは、「通常の屈折」と「異常な屈折」という二重の屈折によるものであるとされる。ついで、氷州石の屈折率が入射角と反射角の正弦の比から産出され、その値は5:3であるとされる。また、彼の議論によれば、この現象は粒子論を前提とすることで、デカルトの屈折光学の枠組みにおいて説明されうる。
 このバルトリンの二重屈折現象の解明は、光学史ではホイヘンス(Christian Huygens, 1629-95)やニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)の学説に結び付けられることが一般的だが、本論文においては、『氷州石の実験』と同年に刊行されたステノ(Nicolaus Steno, 1638-86)の主著『プロドロムス』(1669)と比較される。ステノもまた粒子論をとるが、彼の主たる関心は結晶が規則性を保ちながらもさまざまな形態に成長する仕組みであり、『プロドロムス』は結晶の幾何学的構造を多くの図版とともに説明している。だが、この著作にはバルトリンのように結晶内部を通過する光についての議論はみられない。両者は同じ1669年に刊行した二つの著作において、異なる問題設定のもとに結晶を論じた。バルトリンが結晶の光学的特性の記述を含む氷州石のモノグラフィーを書いたのにたいし、ステノは「固体の中の個体」(つまり地中に産出する物体)の一部門として結晶を扱い、それを全地球史の構築に役立てようとしたのである。両者はともにデカルトの光学と地球論に依拠しているが、彼らの立場の間には大きな溝があったのだ。
 『氷州石の実験』は光学史にとって重要な文献であるが、その実験から命題に至る記法をふくめて、この時代の鉱物誌の新傾向を代表するものである。そして、その研究の材料となった鉱物は、ときの絶対王権によって採集され、王のクンストカンマーに蒐集されたものであった。絶対王政と科学という観点にもバルトリンは興味深い事例を提供する。

 バルトリンの氷州石実験については、そもそも日本語で読めるものが少なく、また取り上げられるとしても光学史の文脈であった。この論文はバルトリンを地学史の観点で捉え、同時代の政治史・社経史的状況をも参照しつつ論じている点で貴重である。ヴンダーカンマー(驚異の部屋)におさめられた君主の蒐集品としての鉱物・結晶の意味を考える上で大変に重要な論考であると言えよう。

 画像は氷州石結晶が示す二重屈折現象。結晶の下に敷いた紙の文字が二重に見えている。出典はwikimedia commonsより。
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